美味しいものは、人によって違う。 | 須坂動物園のくまひゃんのブログ

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動物園の関係者では、有りませんが、生き物なんでも大好きです。新しいことは苦手ですが、豊富な人生経験。年の功が誰かの・何かの役に立てばとの思いでブログをはじめたのですが、気がつけば若い方に励まされてばかり、感謝、感謝の毎日です。

野菜の規格 「形」や「大きさ」ばかりで「おいしさ」は無視

2011.07.13 16:00

農産物に関する様々な規制を見ると、この国の農業は役所や農協によって“おいしい作物”を作らせないようにされているとしか思えない。さらにその規制が農業の真の再生を阻んでいるのである。元行政改革担当大臣の補佐官で政策工房社長の原英史氏が憤る。

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「規格外」の野菜がちょっとしたブームになっている。スーパーではまずお目にかからないが、専門の宅配や通販もある。ねじ曲がっていて形は悪いが、値段は割安で、味はかえっておいしかったりする。

 農産物の「規格」とは、各自治体や農協が、出荷に際して設けている基準のことだ。農家が農協経由で出荷する際は、必ずこの規格に従う。内容は地域によりまちまちだが、例えばきゅうりなら、「A級品は曲がりが1.5センチメートル以内」などの定めがあり、A級品以外は、まず市場に出回らない。だから、街中で目にするきゅうりは、みんな真っ直ぐなのだ。

 各地の「規格」が似たり寄ったりであることには、理由がある。昭和40年代に、農林省(現・農林水産省)が蚕糸園芸局長通達などの形で、全国の標準規格を定めたからだ。例えば、「きゅうりの標準規格」を見ると、

・品位基準として、「A級品は曲がりが2 センチメートル以内、B 級品は曲がり4 センチメートル以内」

・大小基準として、短形種の場合は「L21センチメートル以上23センチメートル未満、M19センチメートル以上21センチメートル未満、S16センチメートル以上19センチメートル未満」

 などと書いてある。「標準規格」は2002年になって廃止されたが、これをモデルに、各地の「規格」が出来上がった。「標準規格」は、きゅうり以外にも、たまねぎ、レタス、キャベツ、トマトなどで作られた。

いずれにも共通するのは、「大きさ」と「カタチ」に注目していることで、「おいしさ」や栄養は関係ない。

 本当は、野菜は作り方によって味が違う。だが、農家が農協経由で出荷する場合、「大きさ」と「カタチ」が優先される。「規格」に合えば引き取ってもらえるが、「規格外」ならば事実上、引き取りを拒否される。いくら「おいしさには自信がある」と抗弁しても、関係ないわけだ。

 そして、農協で引き取られた野菜は、他の農家の野菜とごちゃ混ぜにされ、卸売市場に引き取られていく。この仕組みでは、「おいしさ」を追求しようという意欲が損なわれても無理はない。

SAPIO 2011720日


おまけ

学校行政のムダな規制はラーメン屋に規制するのと同じと専門家

日本の学校行政には「おかしな規制」が数多く存在する。学校の階段には必ず踊り場が必要となるなどは、その好例だ。では、なぜそんな規制が存在するのか。学校行政の考え方の根幹を、かつて、安倍、福田内閣で渡辺喜美・行政改革担当大臣の補佐官を務めた、「政策工房」社長の原英史氏が解説する。

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 ラーメン屋は老舗も新規参入店も味を競い合う。それで食べ歩き愛好家は増えている。だが、もしも、「○○市△△地域の住民は××屋で食べなければならない」という規制、いわば「ラーメン指定店制度」が存在したら、どうだろう。

 各店舗は、地域のお客さんが確実に来るのでつぶれない。その代わり、新たな工夫や改善はしない。新規参入もない。結局、貧弱なメニューと味になっていくはずだ。そんなラーメン規制が仮に何十年も続いたら、美味しいラーメン屋など存在しなくなるだろう。

 だが、「そういう規制があった方が美味しいラーメンを提供できる」としているのが、日本の学校行政の考え方なのだ。

SAPIO2010101320日号

 学校教育も野菜生産も同じだと思っていると定義すれば、疑問が解けるしすべて理解しやすい・・・・・制服、指定靴、上履き・・・・・平均点主義・・・・・・すべての人の顔は違う・・・・・みんな同じ・・・・そんな馬鹿な話はありえない!

しかし教育の弊害で、みんなと同じか、平均に近くないと不安でしかたない・・・・・・

 デモね、おそらく多くの子供たちは気づいていて、知っている・・・・・だけど、なんら不満を言わない・・・・・いえない子供たちがかわいそうでならない。

 変えなければならない原点がここにもある。