ふらいんぐドールがまた輝けば enju さんの今日のブログちっちゃいおサルさん。に アマゾン熱帯雨林で新種の小型サルを発見 のことが掲載されているのを読みながら、
私が20歳の頃読んだ、岩波新書「日本人は何処から来たか」のなかに初めて登場した、コロボックルを思い出した。
下記に、北海道を例とした解説を記載しましたが、本州にもいたるところに痕跡があるようです。
私は、インカ人マヤ人アステカ人がヨーロンパ人たちの略奪や奴隷化政策、ヨーロパから持ち込まれた伝染病によってほぼ壊滅したと想像されるように、かつての地球に(絶滅してしまったけれども)青鬼とか赤鬼・・・角のある民族や小人達がいたとしても不思議は無いと考えています。
だから、ウイグル人への仕打ちに対し、同じことをしてきた欧米は弱腰なんだけどね・・・おっと!脱線したぁ~・・・もとへ。
エイズはアフリカの風土病だったとか、ペット化したサルから感染したという話を聞きます・・・・人がかかわる事で、絶滅したり人に累が及ばなければいいのですが。
ちっちゃいおサルさん慎重に扱っていただきたい。
後は、解説と戯言ですから、時間の無い方はパスしてください。
皆様、良い週末をお過ごしください
コロポックル『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
アイヌがこの土地に住み始める前から、この土地にはコロポックルという種族が住んでいた。彼らは背丈が低く、動きがすばやく、漁に巧みであった。又屋根をフキ の葉で葺いた竪穴にすんでいた。
彼らは情け深くアイヌに友好的で、鹿や魚などの獲物をアイヌの人々に贈ったりアイヌの人々と物品の交換をしたりしていたが、姿を見せることを極端に嫌っており、それらのやりとりは夜に窓などからこっそり差し入れるという形態であった。
あるときあるアイヌの若者がコロポックルの姿を見ようと贈り物を差し入れるを待ち伏せ、その手をつかんで屋内に引き入れてみたところ、美しい婦人のなりをしておりその手の甲には刺青があったという(なおアイヌの夫人のする刺青はこれにならったものであるといわれている)。
コロポックルは青年の無礼に激怒し、一族を挙げて北の海の彼方へと去ってしまい、以降アイヌの人々はコロポックルの姿を見ることはなくなった。現在でも土地のあちこちに残る竪穴や地面を掘ると出てくる石器や土器は、彼らがかつてこの土地にいた名残である。
1886年 、渡瀬庄三郎 が『人類学会報告』創刊号にて札幌周辺に見られる竪穴住居の跡とみられるものがコロポックルの手によって作られたものであり、アイヌ人の前にコロポックルがかの地に居住していた証拠であるという旨の発表を行い、それに坪井正五郎 が『人類学会報告』第9号にて大筋賛成という意見の表明を行った。しかし『人類学会報告』9号にはさらに白井光太郎による匿名での坪井への反論が掲載され以降、小金井良精 ・浜田耕作 ・佐藤伝蔵・鳥居龍蔵 ・喜田貞吉 など多くの研究家がこの議論に参加した。結局この論争は1913年 、坪井がロシア のペテルスブルク で客死、コロポックル実在説が衰えるまで続く。
唄とは関係無いですが、イルカと仲良しなように、小人さんたちともとても仲良かったのかも知れない・・・・・・・今のところおサルさんには感染しないみたいだけれど・・・・・こびとさんたちはインフルエンザで死んじゃったのかなぁ
森の小人
(昭和16年7月に玉木登美夫作詞・秋田喜美子唄による「土人
の祭」
森の木陰(こかげ)で ドンジャラホイ
シャンシャン手拍子(てびょうし)足拍子
太鼓(たいこ)たたいて 笛ふいて
今夜はお祭り 夢の国
小人さんがそろって にぎやかに
ア ホイホイヨ ドンジャラホイ
おつむふりふり ドンジャラホイ
かわいいお手手で 踊(おど)り出す
三角帽子に 赤い靴
お月さん にこにこ森の中
小人さんがそろって おもしろく
ア ホイホイヨ ドンジャラホイ