夢ってどうして「つじつま」が合わないんでしょうか?
不思議です。
子供の頃から、山麓の斜面にある神社へ(小学校の)遠足で行った夢を、良く見ました。
けれど場所がどこなのか判らない。
中学生の時、遠足で行ったお寺を自転車で辿ってみたが、該当する神社がなく、社会人になり、車を運転するようになり、もう一度記憶にある神社を再び尋ねて見たりしましたが、分かりませんでした
夢も不思議な事に何度かみていると、成長していくんです。小学校の遠足なのに、高校時代の友だちがでてきたり、社会人になって知り合った方が出てきたり。
場所が不明な「つじつま」の合わない夢・・・・・でした。
もう25年ほど前(私が30歳チョと前頃)の事ですが、ここから12kmほど離れた、中野市へ納品に行った帰り道。(樹齢1000年?を越す)「飯盛松」が枯れたとの噂を思い出し、中学校の遠足以来だが、延徳という小学校の脇を山に沿って登った記憶を頼りに、行ってみる事にした。
そばまで行ったのですが、案内板は無く、記憶違いかもしれないなぁと半信半疑。しかし、場所を聞くにしても誰も来ない。探してみるにしても、道が細くて車を留めるところも無い。もう夕方だったこともあり、仕方なくあきらめて帰ることにした。
車を回すところを探そうと、直進させたが、しばらく行くと下っていくので、迂回して県道に出るのかもしれないと思い、車を走らせていたら、神社の境内の脇にでた。
あれ!?
車を止め、しばし眺めていた。
ここは・・・・・
「よく知っている」
「確かに見た覚えがある」
まさに。デジャブ=既視感でした
思わず、叫んでいた。
「ここだよ、そう!ここだ」
夢に良く出てくる神社。
「ここ・ここ!!」
でも・・・・・・
この神社に来た記憶はない。
夢で見た以外の記憶がない
固まるとは、その時の事を言うのでしょうね
「飯森松」へは中学校の遠足で行ったことはあるが、帰りにこの神社に寄ったとしても、それ以前から、その神社の夢を見ていた。
父も母もこの辺の生まれではありませんし、車も無い時代のこと。我が家とは無縁の場所。いまだに不可解なままです。
(厳密にいえば、来たような、体験したような、では無く、夢に何度も出てきたのですからデジャブとは、違うかも知れません)
その後、その夢を見なくなりました。