人を救う前に、自分を救う。

これ鉄則ですね。
ここ間違えると空回りループに入っちゃう。

僕の場合、自分を救うために人を救おうとしちゃう。つまり褒められるために。それはそれでありだけど、たぶんそのことに自覚がないと、何かが滞ってしまってうまくいかない。やるなら分かってやる必要がある。

僕は褒められたいから誰かのためになることをするって、その自覚があれば、ちゃんと気持ちも流れてるし、それはぐるっと回って自分を救うになってるから上手くいく。

実際に褒めてもらえるなら、それはちゃんと相手に何かしらの感動が生まれているわけで、そういうことをしていくことは全然あり。褒められたいは全然OKなんだ。自分らしくいけるなら自分も救えるし、人も救える。

もしくは、「自分は褒められたい」という自覚があれば、今僕は自信が無くなってるんだ、自分を信じれなくなってるんだ、というもっと具体的な事実、自分の気持ちに触れていける。

そしたら、誰かのためになることをして褒められたい以外にも、信頼してる友達に電話して「褒めて欲しい」ってストレートにお願いするのもありだ。素直に生きるべし。

こうやって言葉が出てくるのが、自分の調子のバロメーターにもなる。僕はここ最近ちょっと調子が悪かった。メンタル不調でした。今思えば言葉が出てこなった。なのに無理して、そして自分のためでなく、誰かのためにと言葉を書いていた。自分を置き去りにすれば、不調になるのは当たり前だ。

言葉が出てくるときは調子がいい。
出てこないときは調子が悪い。

出てこないのはつまり自分の言葉に自信がないということ。もっと言えば自分に自信がない。自分を信じられていないってことだ。

そんなときはどうするか?

そんなときこそ言葉を書いた方がいい。

でも、何かのために言葉を書いてはダメ。自分のために言葉を書く。自分を救うために言葉を書く。自分の今の気持ちを言葉に。

今回だったら「メンタルが不調だ」って書く。それを僕が読みたがっていた。言葉が書けないとき、僕は僕のことが分からなくなってる。教えてあげるつもりで言葉を書く。

自分にウソをつかない。これもすごく大事だ。不安になったときに、その不安を自分に隠すことは、自分にウソをつくことになる。そうなると無意識のところで自分を疑い始める。自分にウソをつくと、自分が分からなくなる。そして信じられなくなる。常に迷いが生じるようになって、動けなくなる。

本当のことから始める。自分の素直な気持ち、状態、分からないなら分からない、迷ってるなら迷ってる、困ってるなら困ってる、本当のことを言葉にしたとき、自分への信頼が戻ってくる。任せて大丈夫だと思える。迷いがなくなる。動けるようになる。景色が進みだせば今とこれからが楽しくなってくる。

今日書いたことを忘れないようにしたい。

自分が自分で見つけた、自分が生きるためにとても大切なこと。自分を救う方法。それをちゃんと自分で見つけたということも。だから大丈夫。

自分を救える自分が好きだ、頼もしい。

弱い自分に寄り添える自分を僕は誇りに思い
ます。

さとし