テストセンターが再開したので、いよいよ6月下旬にCMAのパート2を予約した。勉強の進捗は6週目の終盤。

最後に磨いてから1ヶ月で復習することにしているのだが、もう既に7週目を解かないといけない箇所が出てきている。学習期間が長引くとこうして勉強の総量が増えてしまうのが問題だ。僕は資格を取得するという目標を達成すること自体は好きなのだが、キャッシュフローの計算問題などを解くと元気が出てくるというような勉強好きではないので、量が増えるとあまりハッピーではない。

あと1週間ぐらいはMC問題集のノルマをこなして、残り1週間はテキストや問題集を何周か通読しようと思っている。仕上がり的には問題ないと思うのだがあとはまた緊急事態宣言ができてて、テストセンターが閉鎖されされないことを祈るだけ。


体育会系の考え方は社会のあちこちに存在する。年功序列の考え方も、いわば体育会的な考え方だ。

勤務先の会社も体育会文化が強い。働いている人は無自覚の可能性もあるが、よその会社、特に海外の会社から来た人間にはよく分かる。例えば、入社年次を聞かれることが比較的よくある。

 

最近採用面接の面接官をしたが、他の面接官が体育会出身者には好意的な評価をしていることに気づいた。こうして文化は受け継がれていくのだ。

上司、目上の人がこうといえば気持ちよく返事をして仕事をする。上からすると清々しいものだ。下の人間からしても上の人間は目上なのだからと理不尽なことにも納得できるし、いずれ自分にもその順番が来るので、納得できなくても待っておけば良い。

確かにある種の合理性はあったのだろうが、これからの世の中にマッチしているのかというと甚だ疑問だ。日本企業の生産性が低いことの主要因の一つはここにあるのではないかという気すらする。

当然のこととして、仕事の能力に年齢は関係ない。若くても優秀な人はいるし、年をとっていても優秀でない人はいる。

以前の社会では職務遂行能力の優劣を決めるのは経験年数だったかもしれない。例えば、ものづくりの現場で熟練の技は一朝一夕には身につかない。

しかし、それぞれの仕事に高度な専門性が求められる現代にあっては、必ずしもそうではない。諸外国と違い、ジョブローテーションが頻繁で、年齢と専門分野についての経験年数がマッチしない日本にあってはなおさらだ。またイノベーションも大事な世の中だがイノベーションを起こしているのはだいたい若い人である。 

僕は体育会系気質が低い 。ただ目上、年上というだけで居丈高に接してくる人を好まない、かわいくない人間である。体育会系気質が重んじられた組織にあっては冷や飯を食いかねない立場ではあるのだが目上の人に対しても言うべきことをきちんと人はそれほど多くないので希少価値はあるようで評価してくれる人もいる。


僕にとって理想の会社は年齢ではなく身に専門性や仕事上の能力がリスペクトされる会社である。世の中がそう変わってきているのは大変好ましいことだと思っている。

今読んでいる本。