※マイ作品についての呟きです。いつものように意味不明です💧

 

テーマなんか考えないで書いてる、とか、テーマなんかないよ的なことを言うプロ作家さんがいるけれど、テーマはなきゃダメだーびっくりマーク

という話を聞きました。

 

この作品で、作者は読者に何を伝えたいのか❓

というものがないと、読後、「で、なんですか❓」というような感想になってしまう。

 

プロ作家の作品だと、なんだかわからなくても「何かがあるぞ」という感じがあるかもだけど、

素人の作品で「それで、なんですか❓」という気持ちになることはわかります💧

自分のものについては棚に置いて汗うさぎ

 

さて、前記事に書いた『(仮題)スライムの話』の問題点は、

「テーマがなんだかわからーんびっくりマーク」でした泣くうさぎ

 

その点について、反論はないです汗うさぎ

「テーマは何か❓」と聞かれたら、コレコレです、と言えないです。

作者としても「テーマがなんだかわからーん」のでありました。

ただ、何かがありそうな話ではあるので、考えてみたいとは思います💧

 

講師の講評メモには、下記のようにありました。

>ビー玉のように人生は転がる。

しかし、傾きがあると何処に行くのか見当がつかなくなる。

こうした一瞬をとらえた、散文詩のような小説です。

 

へええ、と思いました。

そんな感じになってるんだー、です。

 

つまりそういうつもりで書いたわけではないのだけど、そのように読めるんだな、

と感心したのでありました💧

 

「散文詩のような小説です」という点につきましては、そうかも、とは思いました。

 

上記のような感想となった可能性としましては、

主人公が子供のころ、炬燵の板を少し斜めにして、そこに缶や積み木や箱を置き、

一番上からビー玉を転がして遊んだ、ということを書いたシーンがあったからかな、

とも思いました。

ちがうかもしれないけれど。

これのイメージは、転がり始めたビー玉は缶や積み木や箱に当たって、

コースを辿っていき、一番下のゴールにたどり着く。このコースを作るのが面白くて、コースが完成したら遊びはほとんど終わり。人生にたとえれば、ゴールは死かな。どう人生を辿っていくかが問題というか、そこが面白い、という感じです。

主人公の人生は、まだまだあるかもしれないけれど、社会人になって、結婚して、子供たちも独立して、ゴールに近づいてきているという感じです。

 

しかしこれはテーマではない。

家が傾いていたら、床に置いたビー玉は転がる。

主人公が自分の家の床に置いたビー玉は転がらなかった。

傾いてはいない。

ビー玉は目玉のようでもあり、「傾いてないよ」と言ってくれているようなのであります。

 

犬の目が落ちて、床に転がっていた、なーんて話を、主人公は聞いてますし。

 

その後、ビー玉は実家の母によって工事現場のブルーシートに投げられてしまい、

土の中に埋められてしまうという運命となったのですが、

(なんでだよー、という感じではありますが、)

ビー玉は、主人公の目の端に見えるようになるのです。

 

そして主人公を見上げて、「傾いてないよ(大丈夫だよ)」と励ましてくれるのでした。

声は聞こえないけれど、黒い丸が見えると、そのように言われている気がして、

「わたしは大丈夫だ」と主人公はがんばるという話です。

 

自分がどこにいるのかわからなくなったりするので、大丈夫ではなさそうなのですが。

 

子供が自立し、人生をそれなりに順調に進んできた主人公が、過去(子供が小さかったころの記憶とか)と現在(の意識)がちょっと混沌としてきて、死んだ人の記憶とか、死んだ人の霊の話とか、記憶と意識の境界も曖昧になってるところもありつつ、未来(夫との生活、自分の脳は大丈夫かという問題)について不安に思うけど、傾いていたら転がるはずのビー玉によって、励まされる話。

テーマはなんだ❓

確かに、わからーん💦

 

 

『マイ特殊ラブ』をどうにかしよう汗うさぎ