★64ヶ国、7万5千キロを徒歩で11年:ジャン・ベリボー【喜伝会おすすめニュース】 | 酒田移住日報

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【10月18日 AFP】事業に失敗して家を離れ、ひたすら世界を歩き続けてきたカナダ人、ジャン・ベリボー(Jean Beliveau)さん(56)が16日、ついに故郷のモントリオール(Montreal)に到着。11年におよんだ徒歩での世界一周を達成した。


早速、「世界一周」をWiki(ウィッキ)で調べてみた。

【世界一周(せかいいっしゅう)】は、世界中を一回りすること。世界、すなわち地球を一周することでもあることから地球一周(ちきゅういっしゅう)と称されることもある。世界周航(せかいしゅうこう)とも。

【定義】
世界一周 (World circumnavigation) の基本定義は、ある地点と、その対蹠地(地球の反対側となる地点)の両方を通る、大きな円を描く経路だろう。[1]実際には、手段に基づく制限などのため、前述の基本定義とはやや異なる定義が用いられる。

他にも「全ての子午線を横切って出発地に戻る」「五大陸全てを経由して出発地に戻る」など様々なものがある。全ての子午線を横断すると言うことであれば、例えば北極点や南極点の廻りを一周するでも達成されるが、これは世界一周と呼ばれないことが多い。

富裕層にとっては、19世紀には世界一周旅行が可能となり、その経路はユリシーズ・グラントが行ったものと同じ、また世界大戦時に大勢の兵士が輸送された経路でもある。後に技術的進歩と収入の増加により、この旅行は一般層にも可能なものとなった。

◆船による世界一周
右の地図で赤く描かれた線が、貿易風とスエズ、パナマ両運河を用いる、標準的な帆船世界一周航路である(黄線は赤線の対蹠地)。航路がほぼ大きな円で、だいたいある地点とその対蹠地を通っていることが見て取れる。多くの船乗りがこの航路に沿った。貿易風を利用することで帆走が容易になり、またなるべく風の穏やかな海域を通るようになっている。

ヨットレースでは、このような大円を描く航路は現実的ではない。とりわけノンストップ・レースでは、スエズ、パナマ両運河の利用は不可能である。従ってヨットレースにおける世界一周の定義は、「赤道を越えて、すべての経線を同じ向きで通過し、出発地と同じ港に戻る、長さ21,600浬(40,000 km)以上の航路」とされる。[2]左の地図は赤線がヴァンデ・グローブの世界一周ルート、黄線はその対蹠地である。まったく対蹠点を通らないことが見て取れる。南半球の風向きは西風が支配的であるため、東を目指すルートよりも西を目指すルートの方が難易度が高い。四角帆の船ではなおさらである。

1922年に始まったラコニア(キュナード・ライン)の世界一周旅行により、数千人が優雅な船旅で世界一周を達成した。この船旅は通常、ニューヨークかサウサンプトンを出発し、西に向かう航路だった。太平洋に入る際のルートとしては、カリブ海からパナマ運河を通るものと、ホーン岬を回るものがあった。またヨーロッパへの帰路も、スエズ運河を通って地中海に入る場合と、喜望峰を回ってアフリカ西岸を北上する場合があった。これらの船旅のゴールは、出港地に戻ることである。

◆空路での世界一周
現在世界一周で用いられる最も一般的な交通手段は航空機によるものである。 商業航空開発により、何万もの人が空路での世界一周を達成することとなった。単一の航空会社による乗り継ぎ路線(世界一周路線)や、単一の航空会社または航空連合による乗り継ぎ航空券(世界一周航空券)の形で一般の旅行客にも提供され、今日では容易に実行可能である。

空路での世界一周に際しては、世界の大気循環パターン、とりわけジェット気流を考慮することになる。ジェット気流は赤道を越えることがなく、それぞれ北半球・南半球の中で循環している。そのため、空路での世界一周は、赤道を越えることや、対蹠地を通ることといった条件は設定されない。たとえばスティーヴ・フォセットの熱気球での世界一周は、南半球の中で完結した。

動力を持つ航空機の世界一周記録条件は、すべての子午線を通過して出発地に戻る、距離 36,787.559 km(22,858.729 マイル。これは北回帰線の長さ)以上のコースである。また、コースの制御点は北極圏、南極圏の外側に置かれなくてはならない、とされる。[3]

気球では、風の影響が大きいため、さらに条件が緩和される。すべての子午線と、両極圏の外側にあるチェックポイントを通過する、半径 3,335.85 km(2,072.80 マイル)以上のコースで、内側に極点を含むものである(極点を中心とする必要はない)。[4]

◆人力での世界一周
人力での完全な世界一周は未だ誰も達成していない。ただし、ギネス・ワールド・レコーズは2006年版で人力での世界一周に関するガイドラインを発表している。そこで示された条件は、距離 36,787,559 km (北回帰線の距離)以上で赤道を通り、出発地点と完全に同じ場所に戻ってくることである。対蹠地を通る必要はない。ギネスがガイドラインを設定してから今日まで、人力世界一周の達成者はいない。[5]

自転車や徒歩で世界を一周した者はいる[6]が、海洋は空路で越えており、海洋を除いた移動距離はギネスのガイドラインを下回る。

【著名な世界一周】
年月は行われた期間をいう。

◆海路
フアン・セバスティアン・エルカーノ、アントニオ・ピガフェッタら18人が人類初の世界一周を達成。1519年-1522年。マゼラン艦隊の遠征に参加。マゼランは途中セブ島で1521年4月27日に死にマゼラン艦隊の指揮官はさまざま入れ替わるが、エルカーノが最後の指揮をとったビクトリア号が1522年9月8日スペインのサンルーカル・デ・バラメダに帰還。エルカーノとビクトリア号の乗組員計18人が人類最初の世界周航達成者となった。[7]ただし、初の世界一周者をマゼランの奴隷エンリケとする説もある。[8]

アンドレス・デ・ウルダネータ。1525年-1528年。ロアイサ遠征隊に参加、遠征隊の多くが死亡し遠征が失敗した中、1528年に帰還。

フランシス・ドレーク。1577年-1580年。イギリスの世界一周艦隊を指揮。

Martín Ignacio de Loyola。1580年-1584年及び1585年-1589年。世界一周を2回達成した最初の人物であり、異なる方向(西回りと東回り)での世界一周達成者としても最初の人物。

Pedro Cubero。1670年-1679年。陸上を含む世界一周としては初。

ウィリアム・ダンピア。1679年-1691年、1703年-1707年、1708年-1711年。世界一周を3回達成した最初の人物。

John ByronとHMS Dolphin。1764年6月-1766年5月。2年を切る期間での世界一周としては初。

ジェームズ・クック。1768年-1769年。2回の世界一周を達成、3回目の途上で死亡。

HMS Driver。蒸気船による世界一周としては初。1847年達成。

Argo。蒸気船による意図的な世界一周としては初。1853年達成。

Corvette Zaragoza。1896年-1897年。メキシコの艦船及び乗組員による初の世界一周。

Joshua Slocum。1895年-1898年。単独帆走での最初の世界一周。

Vito Dumas。1942年。単独帆走で三大岬を通る経路としては初。また単独帆走でのホーン岬通過成功例として初。

アメリカ海軍原潜トライトン。1960年。潜水艦による最初の世界一周。

Francis Chichester。1966年-1967年。単独帆走によるクリッパー航路での世界一周として初、また単独帆走での最短世界一周(9ヶ月と1日)。

Robin Knox-Johnston。1968年-1969年。無寄港単独帆走の世界一周として初。

Serge Testa。1984年-1987年。最も小さな船による世界一周。

このほか、中国の探検家鄭和が最後2回の航海で世界一周を成し遂げたとする説がある。鄭和は現代の洋式船よりも巨大な船で構成された艦隊を指揮して大規模な航海を行ったが、長い間西洋世界に知られることがなく、また彼がアフリカ以西に到達した証拠は残されていない。学者の多くは、鄭和は世界一周を成し遂げていないとみている。[9]

◆空路
世界一周飛行も参照。

アメリカ空軍(前身であるアメリカ陸軍航空部時代)。1924年。最初の空路での世界一周。175日間で 44,360 km (27,340 マイル)を飛んだ。赤道は通過せず、南半球には入っていない。

ウィリー・ポスト。1933年7月。空路・単独での世界一周として初。

アメリカ空軍B-50A型戦略爆撃機「The Lucky Lady II」。1949年。最初の無着陸世界一周。空中給油によった。

Archie J. Old, Jr.。1957年。最初の空路無着陸世界一周を指揮。

Jerrie Mock。1964年。女性による空路世界一周として初。[10]

ディック・ルータンとジーナ・イェーガー。1986年12月。最初の無着陸無補給世界一周。ルータン ボイジャーを参照。

スティーヴ・フォセット。2005年3月3日。最初の単独無着陸無補給世界一周。67時間で37,000kmを飛んだ。

Barrington Irving。2007年3月-6月。航空機による単独世界一周の最少年齢記録。

◆複合的手段
ジョバンニ・フランチェスコ・ジェメリ・カレリ。1693年-1698年。公共交通機関で世界一周した。バックパッカーの始祖とも。

ネリー・ブライ。1889年11月14日-1890年1月25日。女性初の単独世界一周旅行。

David Kunst。1970年6月-1974年10月。徒歩での世界一周が最初に確認された人物。ただし、Kinga FreespiritやLudovic Hublerら数名も達成を主張している。

Robert Garside。1997年-2003年。走行による世界一周が証明された最初の人物。2062日で48,000km(30,000マイル)、29カ国、6大陸を走った。[11]

Jesper Olsen(2004年)、Colin Angus(2006年)、Rosie Swale-Pope(2008年)。完全に人力での世界一周を達成したとされるが、ギネスのガイドラインに沿った確認は行われていない[要出典]。

間寛平。2008年12月17日 - 2011年1月21日。ヨットとマラソンによる世界一周(厳密には、ヨットによる北太平洋・北大西洋横断とマラソンによる北アメリカ大陸・ユーラシア大陸横断であり、「赤道を通過する」というギネスのガイドラインを満たしていない)。

◆日本人による世界一周
世界一周を行なった最初の日本人は、仙台の舟子である津太夫(延享元年(1744年) - 文化11年(1814年)7月29日)、儀兵衛(平)、太十郎、および佐平の4人であるとされることがある。 寛政5年11月21日、仙台の舟子津太夫ら16人は江戸に運送する糧を若宮丸に載せ石巻港を出発したが暴風に遭って漂流し、翌年6月上旬、アリューシャン列島に漂着。10ヶ月余の滞在の後、翌年4月上旬出発、6月にオホーツクに上陸した。8月から翌年夏までの間に、一行は3度に分かれてシベリア奥地に入り、イルクーツクで合流、同地の官吏の保護を受けつつ寛政8年から享和2年まで滞在した。皇帝から上京の命を受け、3月に出発、シベリアを横断して4月にペテルブルクに入ったが、その時3人は既に病死し、3人は途中の街で落伍した。 一行は客人として歓待され、皇帝に謁見を許された。5人を残して、津太夫、儀兵衛、太十郎および佐平の4人と使節ニコライ・レザノフの通訳に任命された善六はナデジュダ号に乗船し、6月バルト海から大西洋に出た。カナリア諸島を経てブラジルに立ち寄り、翌文化元年に太平洋に入り、マルキーズ諸島、ハワイ諸島を経てカムチャツカに到着。善六はここで下船したが、ナデジュダ号は同年秋に南航して9月に長崎に到着した。使節の目的である通商条約の締結には至らなかったが、4人は長崎鎮台に引き取られ、さらに伊達家に引き渡され、文化12年12月末、江戸芝の伊達屋敷にはいった。ここで取り調べを再び受けた後、翌年に帰郷した。

※この世界一周はマゼランの約280年後、前後13年にわたるものであった。

【参考文献】
1.^ Definition of a Circumnavigation
2.^ World Sailing Speed Record Council Rules 2005–2008, sec. 26, Record Courses
3.^ FAI Sporting Code Section 2: Powered Aerodynes: Speed around the world non-stop and non-refuelled
4.^ FAI Sporting Code Section 1: Aerostats: Around-the-World Records
5.^ About Circumnavigations
6.^ en:Category:Pedestrian circumnavigators of the globe
7.^ (『マガリャンイス最初の世界一周航海』, アントニオ・ピガフェッタ
8.^ ツヴァイク『マゼラン』pp.213-214
9.^ Finlay, Robert (2004). “How Not to (Re)Write World History: Gavin Menzies and the Chinese Discovery of America”. Journal of World History 15: p. 229. doi:10.1353/jwh.2004.0018.
10.^ Jerrie Mock: Record-Breaking American Female Pilot
11.^ Around-World Runner Honoured(ニューヨーク・ポスト)

【関連サイト】
◆WWWalk | Jean Béliveau


【喜伝会会長のコメント】
■今回のジャン・ベリボーの世界一周はギネスガイドラインの「人力による世界一周」には認定されないのは残念!しかしながら、この11年は彼にとってかけがえのない財産になったであろう。
■個人的には、陸海空で世界一周旅行に連れて行くとプロポーズしたので、「世界一周」はすごく興味がある。まず空をスターアライアンスで1カ月で攻略し、その後、海は新婚旅行で乗ったイタリアのコスタ社の船で3カ月で行い、最後の陸は各地域の有名な鉄道を乗り継ぎ1年かけたいと思う。資金は二人で1千万で足りるかな?


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