【10月18日 AFP】第43回世界体操競技選手権(43rd World Artistic Gymnastics Championships)の男子個人総合で史上初の3連覇を達成した内村航平(Kohei Uchimura)は、その栄冠に満足することなく、ビタリー・シェルボ(Vitaly Scherbo)氏を越えるという新たな目標を口にした。

今世界選手権で金メダル2個、銀メダルと銅メダルを1個ずつ獲得した22歳の内村は、歴代最高の体操選手は誰かと質問を受けると、すぐさま「シェルボ」と答えた。

ベラルーシ人のシェルボ氏は、独立国家共同体(旧ソビエト連邦)代表として出場した1992年のバルセロナ五輪で、体操競技では1大会史上最多となる6種目(8種目中)で金メダルを獲得し、世界選手権では通算12個の金メダルを手にしている。


早速、「シェルボ」をWiki(ウィッキ)で調べてみた。

【ビタリー・ヴェネディクトヴィチ・シェルボ(Vitaly Venediktovich Scherbo, 1972年1月13日 - )】は、ベラルーシ出身の体操選手。史上最も成功した男子体操選手の一人である。

【略歴】
彼は1992年のバルセロナオリンピックの体操競技に独立国家共同体(EUN)代表として出場し、合計6つの金メダルを獲得した(男子団体総合、個人総合、あん馬、つり輪、跳馬、平行棒)。これは体操における最高記録である。

彼は1996年のアトランタオリンピックまで競技を続け、その間に世界チャンピオンとして数々のメダルを獲得した。アトランタ五輪直前には、妻:イリーナが大きな交通事故に巻き込まれ、また彼自身が両肩の手術を受けるなど、苦境が続いた。アトランタオリンピックでの彼のパフォーマンスは彼のベストには遠く、準備不足を反映した。しかしそれでもなお彼の残した成績は十分注目に値するものだった。オリンピックという非常に難しい状況で、4つの銅メダルを獲得したことは、他の選手に決して劣らないものだった。

また日本においては、1995年に『スポーツマンNo.1決定戦』(TBS)に出演し、跳び箱(同番組では「MONSTER BOX」と呼ぶ)で当時の世界記録である20段(2m76cm)を跳び、2年後には22段(2m96cm)を跳んだ。

跳馬に彼が最初に行った技「シェルボ (Scherbo)(ロンダート-後ろとび一回ひねり-後方伸身宙返り)」と「シェルボ2(ロンダート-後ろとび一回ひねり-後方伸身宙返り一回ひねり)」がある。 現在は、家族とともにアメリカのラスベガスに住み、体操教室を運営している。

【外部リンク】
ヴィタリー・シェルボ体操教室(英語)


それでは、「内村航平」もWiki(ウィッキ)で調べてみよう。

【内村 航平(うちむら こうへい、1989年1月3日 - )】は、長崎県諌早市出身の体操競技選手。

【略歴】
生まれは福岡県北九州市、自身が3歳の時諫早市に移住。生まれたのは元号がまだ"昭和"で、誕生4日後に"平成"に改元したことにあやかり、「平成の時代を真直ぐ渡れるように」という願いを込めて、"航平"と命名された。

父・和久は日体大体操競技部出身で柳川高等学校時代に高校総体の種目別で優勝しており、母・周子も元体操選手、妹の春日(はるひ)も体操選手(日体大3年生在学中)という体操一家である。1992年(平成4年)に両親が『スポーツクラブ内村』を開設したのを機に、3歳で体操を始めた。

両親の反対を押し切り、諫早市立諫早中学校卒業と同時に、塚原直也に憧れて上京し、朝日生命体操クラブに入門した[1]。東洋高等学校を経て、日本体育大学体育学部体育学科に入学。大学では体操競技部に所属し、4年時には主将を務めた。

2007年(平成19年)ユニバーシアード団体優勝とともに種目別ゆかで優勝。2008年(平成20年)、初めてのオリンピック代表選考レースである二次予選では、二日間ともに冨田洋之を抑えてトップに立ち予選通過。最終予選のNHK杯体操選手権では優勝こそ冨田に譲ったが2位に入り、北京オリンピックの出場権を獲得した。

オリンピック本大会では、団体戦メンバーとして19歳で最年少ながら安定した堂々とした演技を披露、男子体操団体で日本の銀メダル獲得に貢献すると、その2日後の男子体操個人総合決勝では、苦手とするあん馬で2度の落下がありながらも他種目で23人を抜き、最終的には2位となって銀メダルを獲得した。尚、個人総合では北京五輪代表監督である具志堅幸司以来24年ぶりのメダル獲得であると同時に、日本体操界では10代での個人総合のメダル獲得は史上初であった。

2008年、全日本選手権で個人総合優勝を果たす。それまで男子体操を牽引していた冨田洋之が同年末をもって引退し、名実ともに日本の新たなエースとなった。2009年世界体操競技選手権(ロンドン)では、ついに個人総合優勝を達成[2]。20歳での獲得は日本勢史上最年少であった。2010年世界体操競技選手権(ロッテルダム)でも圧勝し、日本人初となる個人総合2連覇を達成した。

日体大卒業後、山室光史とともにコナミスポーツ&ライフに入社。社会人となってから初めての国際大会でもあった2011年世界体操競技選手権(東京)でも2位に大差をつけて優勝し、体操史上初となる個人総合3連覇を達成した[3]。またこの時、最も美しい演技をした選手に贈られる「エレガンス賞」を受賞。日本勢の受賞は2007年の冨田洋之、2010年の田中理恵に続いて3人目。

【特徴】
得意種目は床運動。2011年の世界選手権では種目別でも優勝している。

幼い頃から両親の営む『スポーツクラブ内村』でトランポリンに親しみ、既に小学校高学年の時には(トランポリン上で)ひねり技を身につける[4]など、高度な空中感覚に加え安定した着地感覚を身につけた[5]。日本代表となった後も、新たな技に取り組む際はトランポリンを使って技の感覚を覚え体の動きをチェックしている[4]。

【逸話】
極端な野菜嫌いであるが、好物はバナナとチョコレートで、特にひいきなのは有楽製菓の『ブラックサンダー』であることが話題となった。ただし、実父によれば中学までは偏食はなかったという[1]。

【主な競技成績】
2007年、全日本選手権 種目別ゆか優勝
2008年、 全日本選手権 種目別ゆか2位、あん馬2位
2008年-2011年 全日本選手権 個人総合優勝(四連覇中)
2008年、NHK杯(五輪最終選考) 個人総合2位
2008年、北京オリンピック 団体総合2位、個人総合2位、ゆか5位
2009年、全日本選手権 団体総合2位、種目別平行棒優勝、つり輪2位、鉄棒2位
2009年-2010年、全日本選手権 種目別ゆか優勝(二連覇中)
2009年-2010年、NHK杯 個人総合優勝(二連覇中)
2009年-2011年、世界選手権 個人総合優勝(史上初の三連覇中)
2010年、全日本選手権 団体総合優勝、跳馬優勝、鉄棒優勝
2010年、世界選手権 団体総合2位、ゆか2位、平行棒3位
2011年、世界選手権 団体総合2位、ゆか1位、鉄棒3位

【受賞】
2008年9月7日:諫早市市民栄誉賞(第一号)受賞。
2009年:日本スポーツ賞グランプリ、朝日スポーツ賞、テレビ朝日ビッグスポーツ賞、毎日スポーツ人賞感動賞受賞。

【脚注】
1.^ a b 『AERA』2008年9月1日号「父が育てたメダル息子」
2.^ 1970年の監物永三、1974年の笠松茂、2005年の冨田洋之に続き4人目。五輪金も含めると7人目。
3.^ 内村が前人未到3連覇!山室も銅/世界体操 サンケイスポーツ 2011年10月14日閲覧
4.^ a b NHK総合 2008年8月4日放送「”栄光の架け橋”ふたたび ~密着 体操男子団体~」[1]
5.^ 2008年8月12日 読売新聞「五輪体操団体 強心臓19歳…内村「銀」着地 コンテナ体育館育ち」

【外部リンク】
日本体操協会によるプロフィール(北京オリンピック代表選手として紹介されているもの)


【喜伝会会長のコメント】
■男子体操で8種目のうち、6つの金メダルを取った人がいたとは知らなかった。また、ビタリー・ヴェネディクトヴィチ・シェルボを内村航平が越えようとしているのはすごく嬉しい。たまたまだと思うけど、この二人の生年月日のうち月日が似ている。シェルボが1/13で、内村航平は1/3。ちなみに私は1/31。
■既に日本のエースと言うより、世界のエースである内村航平を応援していきたい!個人的には、テーブルマークのCMも応援している!


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