人気漫画「ゴールデンカムイ」(作・野田サトル)の実写映画(主演・山崎賢人、山田杏奈)がなかなか人気のようだ。周辺にも「見た」という人が結構いる。私も見た。

 日露戦争の生き残り・杉元(山崎)とアイヌの少女・アシリバ(山田)が協力してアイヌが隠したという巨額の砂金を探すというまったくのフィクション・娯楽(アクション)映画だ。

 明治天皇制政府が先住民族であるアイヌを弾圧・差別した歴史にはまったく触れていない。一方、「アイヌの文化」は随所で紹介される。アイヌ語には日本語の訳も付く。
 そこでこの映画の評価は賛否で二分される。

 「賛」は、アイヌについて何の知識も関心もない人々(とくに若者)にとにかくアイヌという存在を知らしめる意味は小さくない、という意見だ。「映画が「入り口」となり歴史への理解も進むことに期待が高まっている」(8日付京都新聞夕刊)という具合だ。

 「否」はもちろん、弾圧・差別の歴史を棚上げしているからだ。同志社大大学院の菅野優香教授(映画研究)は、アイヌでない俳優がアイヌを演じていることについてもこう指摘している。

「長い間、少数者が自らのアイデンティティーやコミュニティーを表現する機会が与えられなかった映画の歴史をほうふつとさせる。文化の魅力を盛り込んだ映画だからこそ、もっと多くのアイヌに出演してほしかった」(同京都新聞)

 北海道アイヌ協会の貝澤和明事務局長は個人の感想としてこう述べている。

「フィクションとして、より幅広い人に楽しんでもらえる映画。続編があるなら、お客さんが楽しみながら史実に基づいたアイヌ文化を知ってくれるような作品を期待したい」(同上)

 いわば「賛」と「否」の中間だが、複雑な胸の内が伝わってくる。

 私の評価は「否」だ。

 続編は必ずある。そんな終わり方だった。だから貝澤氏の期待はよく分かる。しかし、続編が一転して史実を踏まえたものになるとは考えにくい。
 それは推測だが、明白なのは「映画が「入り口」となり歴史への理解も進むこと」はまったく期待できない、あり得ないということだ。

 NHK朝ドラ「ちゅらさん」が「入り口」になって、日本が琉球を武力併合・植民地化した歴史、沖縄が日米安保条約による軍事基地の犠牲になっている現実に対する「理解」は深まったか。

 韓国ドラマ「冬のソナタ」が引き金となった「韓流ブーム」が「入り口」になって、日本が朝鮮半島を侵略・植民地支配した歴史、いまも在日朝鮮人に対する差別が横行している現実に対する「理解」は深まったか。

 いずれも否だ。日本人は、エンターテインメントの映画やドラマを「入り口」にして歴史や現実への理解を深めることなどできない「国民」なのだ。

 だから、歴史的現在的に差別の被害者となった、なっているマイノリティを描く映画やドラマは、それ自体がきっちりと史実と現実を踏まえ描く作品でなければならない。それが「否」の理由だ。