荏原郡[薭田神社論社]六郷神社 | さとる塾『32歳から人はどこまで鍛えられるのか?』

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健康な体を手に入れましょう!

2013年からは神社巡りで御朱印コレクションをしながら、日本の歴史についても学習します。

自由奔放に生き過ぎているので・・・
信念を持って一貫性のある生活を送ろうと思います。


薭田神社の論社でありながら、歴史は古く由緒ある神社なのです。

アクセスは京急雑色駅から徒歩10分です。1駅先の六郷土手駅との中間に位置します。JR蒲田駅からはバスも出ています。


多摩川の清流に南面する古い八幡宮で、六郷一円の総鎮守として広く崇敬されております。

御祭神は誉陀和気命(応神天皇)なので、八幡宮とは記載がないもの八幡さまを祀っているのです。

手水舎には水がありませんでした。


社伝によれば天喜5年(1057年)源頼義、義家の父子がこの地の大杉の梢高く源氏の白旗をかがげて軍勢をつのり石清水入幡に武運長久を祈ったところ士気大いに奮い、前九年の役に勝利をおさめたのです。
凱旋後、その分霊を勧請したのが当社の創建と伝えられます。

文治5年(1189年)源頼朝もまた奥州征定のみぎり、祖先の吉例にならい白旗を立てて戦勝祈願したので、建久2年(1191年)梶原景時に命じて社殿を造営しました。




天正19年(1591年)徳川家康は、神領として十八石を寄進する朱印状を発給し、
慶長5年(1600年)には六郷大橋の竣工を祈って願文を奉り、また当社の神輿をもって渡初式を行ったと史書にみられます。
八幡官の巴紋と併せて葵紋を用いている所以は、徳川家康がお送り関わりここにあります。


江戸時代には東海道をへだて西側の宝珠院(御幡山建長寺)が別当寺でしたが明治維新によリ廃され、
明治5年(1872年)東京府郷社に列格し、明治9年よリ六郷神社と称して今日に至っております。

ヤッターマンに出てくるキャラクターみたいな狛犬です。

境内社には、稲荷神社・氷川神社・天祖神社・三柱神社と4社です。


時代の中での勢力の衰えとでも言うのでしょうか・・・
境内の広さと歴史を感じさせながらも、現代においては街の神社となってしまった哀愁を感じる神社でした・・・(失礼です)。


御朱印はこちらです!



本日までの初穂料31750円