『仮面ライダーゼッツ』だけじゃない! 歴代ライダーが重ねてきた「型破り」の数々
「らしさ」を壊すことで生まれてきた仮面ライダーの系譜
「仮面ライダー」シリーズの最新作『仮面ライダーゼッツ』は、戦いの舞台が夢の世界であること、さらに変身ベルトを腰ではなく肩から掛けることが、型破りな作品として注目を集めています。もっとも、「仮面ライダー」シリーズの歴史は常に「お約束の打破」を重ね、その積み重ねが新たな基盤となり、未知の地平を切り拓いてきた連続でもあるといえるでしょう。
たとえば『仮面ライダーBLACK』(1987年)は、多くの面で衝撃をもたらした作品でした。ワイヤーを使った空中アクションや宙返り、跳び蹴りなど派手な見せ場がタップリある上に、従来の1話完結形式から脱却し、連続ドラマとしてキャラクターの成長を描く手法を導入しました。そして宿敵「シャドームーン」は、同等の力を持つ悪のライダー的な存在として描かれ、後に続くダークライダー像の原点となっています。
続編の『仮面ライダーBLACK RX』(1988年)も引き続き「南光太郎」の物語で、2作連続で同じ主人公という異例さです。さらに専用の四輪装甲車「ライドロン」を駆使したことで、「もはやライダーではなくドライバーでは?」と、『仮面ライダードライブ』より20年以上も前にツッコまれています。加えて「ロボライダー」「バイオライダー」にも変身でき、後の平成ライダー作品に定着するフォームチェンジ文化の先駆けとなりました。
平成ライダー第1作の『仮面ライダークウガ』(2000年)は、「暴力を嫌う平和主義者が、変身して暴力を行使することに葛藤する」というヒーロー像を打ち立てた作品です。多彩なフォームチェンジも、単なるパワーアップではなく「被害を抑えるための技術や武器の使い分け」として説得力を持たせています。また、怪人は世界征服のような大目標ではなく、日常の治安を脅かす「身近な社会不安」として描かれ、これが平成ライダーの基盤を形成していきました。
「憑依」は役者ありきの変身システム…?
13人の仮面ライダーが最後のひとりになるまで戦い続ける『仮面ライダー龍騎』(2002年)は、発表当時、「ライダー同士が殺し合うのか」と衝撃を与えたものです。現在では定番となった「ライダーバトル」を本格的に導入した作品であり、それぞれが欲望を賭けて戦い、敗者は「消滅する」という非情さは、シリーズ屈指の生々しさでした。また、戦闘に「カードバトル」要素を導入したことで、多彩な必殺技や武器、契約モンスターの召喚など戦闘に多様性をもたらす一方で、カードという商品を通じてファンも感情移入しやすくなり、後の多くの作品に影響を与えています。
一方で、あまりにも独創的で他作品に継承できなかったのが、『仮面ライダー電王』(2007年)の「憑依」変身システムです。
当初は「ライダーなのに電車に乗る」という点が注目されましたが、実際には主人公「野上良太郎」に「イマジン」と呼ばれる存在が憑依することで変身フォームが変わる仕組みが最大の型破りでした。
憑依は変身前から行われるため、良太郎は複数の人格に次々と切り替わり、そのたびに主演の佐藤健が演じ分ける必要があります。「仮面ライダー史上もっとも難しい」といわれた役を、まだ17歳だった佐藤が自らの力でつかみ取ったオーディションは「伝説のオーディション」と語り草です。「電王」の続編なり精神的後継作は、「佐藤健みたいな演技力おばけ」がいないと成立しないでしょう。
『仮面ライダーW』(2009年)も、「ふたりでひとりのライダー」という変身システムが当時は型破りと思われました。ですが、これは「ふたつのガイアメモリを組み合わせる」ことで多彩なフォームチェンジに繋がり、戦略性や商品展開の幅を大きく広げ、『仮面ライダーオーズ』『仮面ライダーフォーゼ』等にも受け継がれるド定番となっています。
さらに、強力な力をもたらすガイアメモリは、依存性や中毒性を持つということで、社会の暗部を映す鏡としてドラマに深みを与えました。これは『仮面ライダーガヴ』に登場する「闇菓子」とも共通する発想でしょう。
このように、仮面ライダーは「型破り」を積み重ねながら、新たな発展を遂げてきたのです。
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以上、ニュース記事を引用させてもらったが、これまでに放送された『仮面ライダー』で「型破り」とも言える展開は幾つかあった。今回記事に挙がっているシリーズは何れも頷けるし、特に型破りな印象を受けたのは『仮面ライダー龍騎』だ。
龍騎の放送が決定した時、新聞に「13人の仮面ライダー」と書かれてあり、「いったいどういう事?」と最初は思った。龍騎と言えばライダー同士が戦い、最後に生き残ったライダーが願いを叶えられる形だ。変身者によっては正義にでも悪にでもなれるし、ライダー=正義ではなくなっている。
それと『仮面ライダー電王』は「ライダーなのに電車に乗る」と話題になり、主人公は「イマジン」と呼ばれる存在が憑依する事によってライダーになれる訳だ。イマジンはそれぞれ性格が異なり、それを演じ分けた役者とスーツアクターはほんと凄いと思う。因みに『仮面ライダードライブ』の主人公はバイクではなく車に乗る。
『仮面ライダーBLACK』の続編である『仮面ライダーBLACK RX』では主人公が引き続く形だが、RXは「ロボライダー」と「バイオライダー」にチェンジでき、後のライダーのフォームチェンジの走りだろう。後に『仮面ライダーディケイド』にBLACKが登場した時、RXとのツーショットはオリジナルなら絶対にあり得ない事だった。
話は龍騎に戻るが、龍騎こそいい意味でライダーの概念を打ち破った作品だと思っている。龍騎の成功があったから、今現在まで仮面ライダーが続いていると言っても過言ではない。これは過去のブログで何度か書いているが、龍騎が今までのライダーで一番好きな作品だ。
