懐かしのゲームハード戦争 | KILL YOURSELF

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ゲーム機選びは未来への投票行為!?懐かしのゲームハード戦争を振り返る

 

 

 2024年現在の家庭用ゲーム機市場はおもに、PlayStation 5とニンテンドースイッチ、Xboxシリーズの3機種がしのぎを削り合っています。しかし昔は数多くのゲーム機が存在し、それぞれの機種のファンが優位性を誇示して熱い布教合戦を行っていました。

 

 この記事では、今ではほとんど忘れられかけている「ゲームハード戦争」を振り返り、現代の状況について考えてみます。

 

●始まりはファミコンとメガドライブではなかった

 ゲームハード戦争の「始まり」というと、任天堂の「ファミコン」こと「ファミリーコンピュータ」とセガの「メガドライブ」の覇権争いを思い起こす方が多いでしょう。どちらも世界中に普及し、多くの名作ソフトで知られています。

 

 しかし日本におけるゲームハード戦争はファミコン登場以前から始まっていました。1975年にエポックが発売した「テレビテニス」、任天堂の「テレビゲーム15」、トミーの「ぴゅう太」、タカラの「M5」、アメリカからやってきた「Atari」など、既に複数のゲーム機がしのぎを削っていたからです。

 

 その後、1983年にファミコンが登場し圧倒的な売れ行きを見せますが、シェア争いは終わりません。後継機である「スーパーファミコン」が登場するまでの間に、バンダイの「アルカディア」)や学研の「TVボーイ」、日本物産の「マイビジョン」、CASIOの「PV-1000」「同2000」、ツクダオリジナル「オセロマルチビジョン」、トミー「ぴゅう太マークII」、NEC「PCエンジン」、セガ「マークIII」「メガドライブ」、SNK「ネオジオ」等が任天堂の覇権に挑みました。

 

 日本における家庭用ゲーム機市場の黎明期にSONYの姿はありません。当時、SONYは任天堂と協力関係にあり、スーパーファミコン互換のCD-ROM一体型ゲーム機を開発していたからです。そのゲーム機は「PlayStation」との名前も付けられていましたが、計画は頓挫してしまいます。後に任天堂のゲーム機と激しい戦いを繰り広げるゲームハードは元々、スーパーファミコン互換機の名称だったのです。

 

 今からはとても想像できないほど多くのメーカーが家庭用ゲーム機市場に参入し、多種多様なゲーム機を開発していたことに驚かされます。バブル景気という時代の後押しもあり、チャレンジが許される時代だったことも無関係ではないでしょう。

 

 ゲーム機のシェア争いについて一般ユーザーが意識したのは、おそらくSONYの「PlayStation」とセガの「セガサターン」がリリースされて、任天堂一強時代が終わってからのことでしょう。性能面での優位性を比較したり、お気に入りのタイトルがどちらのゲーム機からリリースされるか議論したりする動きが活発になりました。

 

 そのなかでも最大の話題だったのが、1997年に発売されたスクウェア(当時)の『ファイナルファンタジーVII』です。同作がPlayStationから発売されると決まった時、ファミコンやスーパーファミコンで「ファイナルファンタジー」シリーズを遊んでいたユーザーの多くは、PlayStationをフォローしようと決心したことでしょう。

 

 そして同時期にインターネットが少しずつ普及し始め、Eメールなども一般化し始めます。個人サイト(テキストサイト)のブームやインターネット掲示板の登場もあり、ネット上での議論が盛んになりました。その中にはどのゲーム機を買うべきか、という話題も含まれています。強烈に特定のメーカーを推したり布教したりするだけでなく、攻撃したり侮辱したりする動きもみられました。

 

 この動きの裏には、議論に勝ってお気に入りのゲーム機が優勢な雰囲気を醸成できれば、お気に入りのソフトメーカーが自分のプラットフォームを選んでくれるかもしれない、という期待感があったように思えます。当時、ほとんどのソフトメーカーはマルチプラットフォーム対応ではありませんでした。

 

 ゲーム機の更新は、一般人が身近にIT技術の進歩を感じ取れるイベントでした。ゲーム機選びには投票行為としての一面もあり、ゲーマーとしてのナラティブと強烈にリンクしています。しばしばゲーム機選びの話題が白熱して、ここには記せないような強烈な隠語を駆使した侮辱行為にまで発展するのはそのためでしょう。

 

 この動きは「PlayStation2」と「ドリームキャスト」、「Nintendo64」に代替わりするタイミングや、「PlayStation3」と「wii(U)」、「PlayStation4」と「ニンテンドースイッチ」の世代でも発生しており、ゲーム機が代替わりするごとに高性能化していく流れとシンクロしています。

 

●スマホやパソコンと競合する家庭用ゲーム機

 かつてはゲーマーの関心の的だったゲーム機の覇権争いですが、2024年現在はほとんど沈静化しているように見えます。その理由はゲーム開発費の高騰などによるソフトメーカーのマルチプラットフォーム化と、ゲーム環境の多極化にあるかもしれません。情報処理能力に限れば、家庭用ゲーム機とパソコン(ゲーミングパソコン)に明確な違いを見出しづらくなっているのです。

 

 また現在の家庭用ゲーム機は上掲のパソコンのほか、スマートフォンやタブレットとも競合しています。特別なコンセプトがなければ積極的に選んでもらうのは難しいかもしれません。

 

 果たして次世代のゲーム機はどのようなものになるのでしょうか。全く想像ができません。

 

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 以上、ニュース記事を引用させてもらったが、ファミコンが登場するまでは様々なゲームハードがあった。俺が小学校に上がる前は『テレビテニス』や『レーシングゲーム』があり、後者は自宅にあった。


 ゲームソフトの元祖と言えば、『カセットビジョン』だったような気がする。友達の家で何度か遊んだのを覚えている。それと『ぴゅう太』というゲームハードは近所のスーパーのおもちゃ屋でプレイした事はあるが、値段が異常なくらい高かった。


 俺が小5の時にファミコンこと『ファミリーコンピューター』が発売され、他のゲームハードの追随を許さないと言っても過言ではなかった。一方、セガのハードも幾つか発売されたが、ファミコンには一歩及ばない感じだった。


 セガが漸くファミコンに追い付いた印象を受けたのは『メガドライブ』ではないだろうか。同じ時期に『PCエンジン』が発売され、ファミコンの後継機『スーパーファミコン』が発売されている。


 90年代半ばになると『プレイステーション』が発売され、セガは『セガサターン』、任天堂は『NINTENDO64』がそれぞれ発売されている。それまでは任天堂の天下のイメージが強かったが、この頃からプレステが天下を取ったような気がした。


 ゲームに関するブログはこれまでに何度も書いているが、俺はゲームは基本的にファミコンで止まっている。だからそれ以降のゲーム事情はあまり詳しくない。俺がプレイしたスーファミ、プレステ、プレステ2は、ドラクエがやりたいが為に買ったようなものだ。