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岐鑑の悟りブログ

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悟りとは  『安心(あんじん)』


お久しぶりです。 やっと筆も持つ気持ちになりましたが、前の投稿からすでに何ヶ月も掛かってしまった事をお詫び申し上げます。 


私の方は昨年の十二月に前立腺癌の小さな腫瘍が見つかり四月下旬から5月上旬まで放射線治療を受けていました。癌に関してはあまり気にしていません。 これから一年PSA、前立腺特異抗原の数字が少なる事を時々検査しての様子見です。 


達磨の『安心(あんじん)』とは


この世の中、色々言葉では説明出来ない事がありますが達磨の『安心』もそのうちです。 これは私など色々な関係者方々が説明しても理解難い事で、言葉では却ってその価値観を低めてしまいます。 聞く方々も根本的には何言っているのか『分からん』で済んでしまいます。 でもこの『安心』を持たないと衆生の地獄穴に落ちてしまいます。 如何に迷わず、苦しまず、清楚に自分の心を落ち着かせれば良いのでしょうか。


仏の弟子にキサーゴータミーと言う女性がいました。 ある日子供を亡くし悲しみのあまり仏に生き返るよう乞うた有名なお話しですが、仏に覚らされ弟子になった人でした。 こう言う悲しみは東日本大震災などの方々が同じ様な思いで今でも過ごされていると思います。 


こういう心深くにある言い難い悲しみをどの様に起伏すれば良いのでしょうか。 難しいですね。 ただ言える事は、この事に関しては自分の心に確実なる『安心』を置かないと解決出来ず、これは他人、ましてや仏に頼める事も出来ません。 自分が求め、自分が何時かは覚り悟らないと苦悩は続きます。 祈っても難しいですし経典を読んだり唱えたりしても本当の幸せは掴めないです。 


願わくば、何時かある日『あぁ真実とはこうなんだ』と覚られた時、言葉では表せられない気持ちが充満して自然に涙が出た時、貴方様はすでに仏になっていて、自分と仏の区別が自分の心の中で無くなった時、貴方様すべてが『安心』となっている事を悟られる事です。


重要な事は、仏と自分を離さない事、と言う事は貴方様は『すでに仏なんだ』と覚る事です。 もう何回も書いていますが、貴方様はすでに悟りの世界に居ます。 区別しているから悟れないのです。 良く禅宗では『眼前にあり』と言いますが、まったっくその通りです。 眼前にある、またはすでに自分の心の中にある事に気が付いていない。

芭蕉の『水の音』をどこで聞いているのでしょうか。 よくよく考えてみて下さい。


あと重要な事は、言葉は相対的に『よし』『わるし』などと分かれていますので、言葉が作りだす苦悩と感情から離脱するべきです。"I am not of thoughts and emotions."

最後にもう一つ。 人間の苦悩の根源の一つとしてあるものは我々は時間内に居ると思っている事です。 生まれては死ぬ。 始まりがあって終わりもある。 これ、正しいでしょうか。 科学的に言っても光の『光子』は速度を持っていても『時間は経験しません』。 我々は目を開けると同時に見えるもの全てが時間を持っていない光子によって包まれ持たされる『現実』と言うものを経験しています。 が、いったい『現実』とは何だと言う問いが起こります。 願わくば、貴方様の心が時間外のものになりますよう心から祈るしだいです。

"I am in this world, but not of it."


合掌 

 

次の文章は『禅から見た死』です。