岐鑑の悟りブログ

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公案解釈



碧巌録第93則 『大光(だいこう)師、舞いをなす』


前書き

先に書いた碧巌録第82則とその追文の『細道』で書いた『藍』としてまた『錦』として湛えられ輝きに満ちるとは、『自分』とい言う見ている方 (observer) が見られている (oberved)(*) と覚り、何か心の中に『ハッ』として不思議な感覚が走った時、初めて青が藍と成り、花の放つ光が錦となり、またその藍や錦と言うものは光によってそのように見えるのではなく、見る方と見られる方が相い重なり合った境地(禅では『両鏡相照: 両鏡相い照らす』)の中での覚りの経験。 見る側と見られる側が合体し『一つ』として融合になっての境地です。 この則にも同じような事が言えると思います。

(*: Observer being observed.)


本文

僧、大光(だいこう)に問う、

『長慶道(いわ)く、「斎に因って慶讃す」と。 意旨如何』。

大光、舞を作(な)す。 

僧、礼拝(らいはい)す。 

大光云く、『箇(こ)の何を見てか、便(すなわ)ち礼拝する』。

僧、舞を作す。

大光云く、『この野狐精(やこぜい)めが』。


長慶和尚: 長慶慧稜(853−932年)

斎に因って慶讃(きょうさん)す: 食事の時、「ありがたや」と唱える

この野狐精(やこぜい): イカサマ野郎


解釈

この則は簡単そうで解釈に苦しむ則だと思います。 


僧が、食事時に『ありがたや』(『頂きます』でも良いですね)と唱える趣旨とは何ですかと聞きますと、大光和尚は言葉では答えず舞を披露します。 それを見ていた僧がお辞儀をすると、和尚が儂の踊りを見て何故にお辞儀をするのじゃと返しますと僧も踊ります。 最後は、和尚が「このイカサマ野郎」で終わります。 


さて、この僧、和尚の舞を真似して、あまりにも青二歳的だったから叱られたのでしょうか。 それとも和尚より踊りがうまかったので和尚があえて『このイカサマ野郎』と認めたのでしょうか。 和尚の激怒は本当に感情的に怒っていたのでしょうか。 それとも『喝』としての認識だったのでしょうか。 それとも、そのような思いやりはどうでも良いのでしょうか。 さっと読むと選択に迷います。 どうでしょうか。 


公案の問答にはご承知のように色々な書き方があり、色々な想いが込められています。 この則の問答はあまりにも短文すぎて情報不足で答えを出すのは難解です。 碧巌録の作者、雪竇(せっちょう)和尚はあえて情報は最小限にして、イカサマ野郎の『野狐精(やこぜい)』として会話を終わらせたのはどう言う意向があったのでしょうか。 どうしてここで終わらなければならなかったのでしょうか。 ここが公案の難しい処で、この則では『落とし穴』になっています(でも、良く考えられています)。


察し出来るのは、表面的な事にこだわると答えは出なく、もっと思考の次元を上げろと言っているように思われます。 と言う事は、『この野狐精(やこぜい)』と言った理由を探している内は答えが出ないと感じる事です(勘所)。


助かるのはこの則の二つの評唱の所にて多数ヒントが書かれてあります。 雪竇(せっちょう)和尚は優しい人ですね。 その一つとして『畢竟不知的当』と書かれてあり、畢竟(ひっきょう)、すなわち『つまるところ』(禅語では『究極』)の勘所を知らない事にありとして、この則の提題に対しての勘所を掴めよと教えています。 また、師匠と言いうものは人のため釘や楔を抜き、粘を去(のぞ)いて、縛りを解き、始めて教え(善知識)となると書かれてあります。 今までに育ちあげた『自分』と言うものを構成している習慣とか思想によってがんじがらめ(雁字搦め)になっている『自分』と言うもから釘と楔を取り払って自由にさせ、固い粘土を揉みほぐし思考を柔らかくして、一定の思考や定義などに取り付かれず縛りを解かせるのが教える側の役目で(*)、『釘や楔を抜き』我々の今までの思考から解脱しなければならない則です。 この『教え』を書いているのがこの公案の評唱です。 


要は、答えが出ないのであれば、公案と言うものは常に答えを出すものでは無い事に気が付く事です(勘所)。 実際に、答えを出してしまっては大光和尚にそれこそ『この野狐精(やこぜい)めが』と言われてしまう則です。 この見解、どう言う事でしょうか。

(*重要: 評唱の所に『照用』と言う言葉も書かれています。 『照』とは相手の内容を見てとる力。 『用』は相手に仕向ける働き。 教えてとして『照』を先にするか『用』を先にするか、またそれらの前後を変えたりして最適な教えを仕向ける。 先照後用、先用後照、照用同時、用不同時。)


私が思うには、雪竇(せっちょう)和尚は碧巌録もこの則で第93となり最後の100則までには残りわずか、ですからこの則で教える方として最適な教授をもう一度描きたかったのかも知れません。 


少し飛びますが、音楽とは楽譜の裏にあります。 楽譜を見るのではなくその裏を読む。 それを見極めるのが音楽家で芸術家です。 裏を読み取り飲み込み、あとは音が奏でるままに託す。 また、その奏で方で自分と言うもではなく音楽と言うものを浮かび上がせる。 例えば、モーツアルトのピアノ曲を弾きますと即座にピアニストの性格が分かるように、また絵画でも絵の裏を見て、画家の性格と思惑と意図を見抜く。 ですが、それだけではまだ未熟で、要は、何を持って『芸術』と言えるのかです。 この根本が分からないと音楽を聞いても絵画を見ても、例えば『あぁ綺麗だね』で終わってしまいもっと高度な味わい方は経験出来ません。 


この則では、私が喩えて和尚は音楽、僧が絵画とします。 『ありがたや』の音楽が流れ、それに連れて和尚が踊ります。 それを見ていた僧がお辞儀をします。 そうすると和尚が何故にお辞儀などをするのだと聞き僧が踊り絵となります。 この二人、お互いに『舞』と言う音楽を聴き絵を見てどうのような境地に達していたのでしょうか。 二人ともお互いの舞を芸術レベルまで上げての問答たっだのしょうか。 僧からしての舞を観ると言う意識が僧自身が観られているとなっての礼拝だったのでしょうか。 和尚の方も僧がお辞儀をした時点で、この僧の人間性を見抜いて(*)、すでに僧と一体になって、お互いが観ているが観られているとしての問答だったのでしょうか。 単調直入に答えを書きますと、情報不足で分かりません。 では、どして雪竇和尚は最後に『この野狐精(やこぜい)めが(イカサマ野郎)』として終わっているのでしょうか。 難しい処ですね。

(*: 先の文章にて、私は帰国の際、妙心寺の境内の脇道で若い雲水に出会う事が出来、お互いが礼拝し、ほんの数秒でしたがこの若い雲水のお辞儀の仕方で私はこの僧が何時かきっと悟れると感じた事を書きました。)


この則、実は答えを出しては駄目です。 最初から答えが出ないように仕向けているからです。 この則の趣旨は評唱に書いてある『畢竟不知的当』と『照用』です。 この則の問答は雪竇和尚が仕掛けた『照』です。 我々読者の中身とか器量を見ています。 最後の『この野狐精(やこぜい)めが(イカサマ野郎)』は雪竇和尚が出した究極の『用』です。 


ここで非常に重要な事は大光和尚が言った『この野狐精(やこぜい)めが(イカサマ野郎)』は僧に対して言ってはおりません。 我々読者に対しての言葉です(用)。 雪竇和尚、公案をただ読み答えを出すだけでは駄目だぞ、としての『イカサマ野郎』で『観点(勘所)を覚り悟りなさい』と我々に対して励ましております。 


ですから、見る側(読む側)の我々が見られているのだと感じ覚り、大光和尚の舞と僧の礼拝と舞が我々読者自身と合体した時、雪竇和尚は初めてこの『イカサマ野郎(読者自身)』の本体が覚れ、悟り(芸術)の世界に入っていると言いたかったと私は思います。 


合掌


後書き

この則は『読むよりは観る則』ですので、この問答の世界を頭に浮かべて想像した方が分かり易いと思います。 試してください。 『観る』公案と、答えが出なくあえて答えを出してはいけない公案は他に少数あります。