認知症・介護共生19-10/GHの日々7:家族と施設① | 認知症介護・共生誌ー在宅:施設悲劇ゼロ/ satori1942

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認知症:八王子介護共生・悲劇ゼロ/satori1942

 2019.5.2.©早駒晋(さこましん)

認知症・介護共生19-10GHの日々7:家族と施設①

認知症でグループホーム入所歴5年(発症から7年)の妻との介護共生記録。発症~さすらい願望(徘徊改め)他の問題行動などに悩む方は、その実践例・対処を記したバックナンバーをご覧ください。

今回は在宅介護と施設介護①。

家族と施設介護➀

1.介護の意味を問い直す

1)子育ては生きもの共通の特性

子育てのたいせつさは言うまでもないが、これは人だけの特性ではなく、哺乳類を中心とする生きものに共通する。ウミガメのように地熱に子育てをゆだねる種を除けば、多くの種族の親は、産んだ卵・子育てに励む。いや能登の海に棲むホテイウオの例をみれば、子育てのために親は自らのいのちを捧げる、人以上の子育てを実践している。子棄てや虐待を繰り返すわれら、人族のほうが恥じ入ることも多い。

2)介護は人が誇る特性

かつて「親棄て伝説」に基づく「楢山節考(深沢七郎著)」が世に出た時、当時大学生だった筆者も、「高齢化したいのちは自分で責任をとり、後進に世界を譲る」美学に共感を覚えた。しかし、長年介護に携わって共生の道を歩んだことで、私の視野は広がった。「子育ては種族存続に欠かせないが、介護もまた人のいのちに宿る『心〈たましい〉継続』には必須。介護は人の誇る特性ではないか」と。

高齢介護は人の心〈たましい〉形成とともに始まっていたのであり、断じて経済が発展したゆとり社会の産物ではない。それは、以下の例から明らかだろう。

3)原人の介護を見習おう!

近年、グルジァ共和国のドマニシ遺跡(175万年前)の原人化石で、ほとんど歯の無い老人の頭骨が発見された。遺跡発掘の解説に、「歯の無い高齢者に柔らかい食べ物(内臓や骨髄)を食べさせ、介護していたらしい」とあった。今で言う刻み食、ミキサー食に代えて、高齢者を労わる食介をしていたらしい。原人を見習い、経済優先の視野から効率のみで介護を考えるのはやめよう。

 

社会的な生活を意識したゾウのような生きものの生態では、高齢者の死を悼む姿がすでに目撃されているが、彼らの生活には、介護できる環境やそのための余力は許されていない。、彼らは生殺与奪の力をふるう人類になりたい想いは無いだろうが、心ひそかに高齢介護できる面をうらやむ想いはあるかも知れない。

4)家族介護は出発点、施設介護はその延長

経済社会の発展に伴ない、労働の主役は男性から、男女共働き社会が定着して来た。今後の人の生きざまから、肯定的な見方に立って推進することが望まれるが、課題もある。

経済社会を支える土台が教育制度と介護制度であり、ともにその分担するための仕組みづくりが今日の政治・経済の急務となっている。その重要性は指摘するまでもないが、近視眼的、効率を急ぐあまり生じている問題を忘れてはならない。要約すれば、以下の通りである。

〇すべてをプロに任せるとして、当事者が丸投げにする(金だけ負担する自己責任で本来は無責任)。

〇経済尺度からの評価が行き過ぎてハード偏重、ソフト(内実)を軽んじる傾向がみられる。

子育てでも基本となるのは家庭教育であり、それに戻づく社会・専門教育へつながる仕組みが確立されなければ、形のみ発展しても内容が伴わない。

介護においても、出発は家庭(族)介護であって、その延長上に施設介護を位置づけ、その実践・達成を目指さなければ、被介護者の心の幸せは守られない。施設に丸投げした家族は、「介護施設を親棄ての楢山〈ならやま〉」と位置づけていることを意味する。

2.家族と施設/介護現場だより

1)施設は家族の理解がほしい

 妻を入所させた施設(グループホーム)の家族会議で、施設長から次の発言がありました。「家族の思いは常に感じつつも、職業としての介護の壁はあるので、家族からのご理解が欲しい……」

 同施設は入所者の症状に応じて細やかな対応をされていますが、それでも家族でない以上、どこまで踏み込んでいいか悩んでいます。施設が家族の理解、協力を求める言葉と受け止めました。  

妻がアルツハイマー型認知症を発症後、当初1年はさすらい願望(徘徊あらため)が激しく、在宅では心に寄り添う介護でさすらい願望(徘徊あらため)克服に努めました。同時にデイ、ショートステイの施設介護のサポートがあったからこそ、それらを乗り切ることができたのです。  

2)介護は家族⇔施設で、相乗効果を

認知症を介護する上で苦労するのは、「これまでできたのにできなくなった(中核症状)」以上に「できなくなったことによる不安の増大、閉じ籠もり、さすらい願望(徘徊あらため)など(周辺症状)」です。在宅では不安共有、受け容れ、鎮静化に努めますが、核家族では介護側が身体ケア、心のケアに加えて家事全般を背負うので、限界に達します。そのため、外出を拒絶する妻を8ヵ月同伴してデイサービス通所を達成したことで、可能性が拓かれたのです。

問題行動他を克服した後に、グループホームへ入所させましたが、ホーム・スタッフの心ある介護で現世浄土へたどり着きました。介護は家族⇔施設の相乗効果によって達成されるのが本来の姿です。

(介護サガ/生命(いのち)の旅・相聞(47)/家族と施設➀

介護は、家族⇔施設の二人三脚で!

 

 

(妻の独白)

物忘れ病を発症した私は いつも不安

そこで夫と思しき人が 片時も離れずに居ることを望みました

しかしその人さえ 時々わからなくなり

外に助けを求めたり 家を飛び出したり大騒ぎ

二人静かな世界へ返るのに 時間がかかる日も多かったのです

ある時思い余ったのか その人が外出に誘いました

むろん私は拒みましたが 彼は断固とした調子で誘います

また彼を加勢する人たちにも説き伏せられて とうとう外の世界へ

そこは見知らぬ人ばかりなので 彼のそばを離れませんでしたが

だれもが親切なので いつのまにか馴染みました

気がつくと 彼が傍に居ない時もあります

しかし自分は ここで独りっきりではない

話しかければ応えてくれるし できないことは協力してくれる 

ふるさととかわが家とは とても呼べませんが 

いつのまにか私は 心穏やかな日々にたどり着いたのです 

 (夫の独白)

物忘れ病が発症した時の たいへんさは

これまで共有した体験が まるで役に立たなくなり

その断片が 混乱を引き起こすことにあるのかも知れない

当初は 遠い過去の記憶は鮮明に残っているが

それもまた 現状の平安さをかき乱す材料となる

不安に駆られて それでも離れようとしない妻と向き合い

共倒れを避けるため 私は心を鬼にして外界を志向した

むろんそのことで いっそうの摩擦も起きたが

それにめげず 外部スタッフやデイと密接な関係を築き

その協力を仰ぐことで 打開を図った

試行錯誤はあったが 妻の閉じこもり突破

そして何より外界に馴染み 心の不安をやわらげる世界へ

徐々にではあるが たどり着くことが可能となった

そのことを通して これまで「和」と「不和」が同居した

夫婦の世界にも 穏やかな日々が訪れた

(介護は家族⇔施設の二人三脚で!)

在宅だけでは克服困難、一方施設丸投げもダメ。被介護者を幸せへ導くには相乗効果が必須。それが現世浄土へ導くことができた原点と考える。

(付記)

*アルツハイマー型認知症7年めの妻は、要介護5となったものの発症当初の苦難を超え、現在グループホームで現世浄土の安らぎを迎えました。

*認知症の課題/「①年間のさすらい願望(徘徊改め)ゆくえ不明者一万五千人以上(年々増加)」「②介護悲劇(心中・殺人、虐待他)2週(1週の説も)に一件発生」は、介護の質を改善すれば軽減が可能です。そのため、わが家の介護で得た成功・失敗の実践情報、アドバイスを掲載。

*以降、本ブログでは、差別用語「徘徊」に代えて「さすらい願望」と表現します。

*本ブログへのご質問、介護のご相談は、お手数ですが、以下へ文書にて問合せ下さい(メール・電話はお受けしません)。当方も文書で誠意ある回答をいたします。介護実践教室などの個別学習会のご希望は、交通費などの実費にてお受けします(概論を省き、実践課題の演習中心。3時間以上必要)。

 〒193-0813 八王子市四谷町776-3 早駒 晋(さこま しん) 宛

*ブログは隔週に更新予定。