認知症・介護共生19-9/GHの日々6:音楽ケア② | 認知症介護・共生誌ー在宅:施設悲劇ゼロ/ satori1942

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 2019.4.19.©早駒晋(さこましん)

認知症・介護共生19-9GHの日々6:音楽ケア②

認知症でグループホーム入所歴5年(発症から7年)の妻との介護共生記録。発症~さすらい願望(徘徊改め)他の問題行動などに悩む方は、その実践例・対処を記したバックナンバーをご覧ください。

今回は音楽ケア②。

介護と音楽ケア

1.歌(音楽)は特効薬ではない

1)認知機能の衰えと高齢化をセットで考えるべき

最近の放映番組に「認知症にならないためのトレーニング」的なものをよく見かける。視聴者も参加しやすいし、このような認知症予防テーマが取り上げられるのは大いに歓迎するが、「記憶力維持=認知症解消」的な短絡的なとらえ方はしてほしくない。高齢化とかかわりの無い若年性アルツハイマーや脳疾患に基づく記憶障害と異なり、アルツハイマー型認知症の被介護者の多くは「認知症+高齢化」がセットで進んでいるのであり、記憶機能だけ鍛えれば予防できることにはならない。

同様の傾向は、デイサービスでトレーニング、体力強化を推奨する傾向にも見られる。個別機能訓練を行った場合の「加算特典」がその例であろう。体力を強化して豊かに暮らすことは大切だが、馬に人参をぶら下げるようような、介護費用軽減と言う経済最優先の思惑が見え見えのやり方はいいと思えない(介護保険低減、コストダウンの必要性はむろん理解しているが)。強いられる被介護者の安らぎが無視される可能性がある(それでなくとも、介護を金もうけビジネスと捉える傾向は増えている)。

九十歳になってからマスターズに出たいと志向する特別な人を除けば、体力は年とともに衰えるのが自然の理である。どれほど鍛えても訪れる高齢化。体力の衰えと正面から向き合う姿勢が必須である。

2)歌は特効薬ではない

精神疾患において音楽が果たす効果が着目され、最近は音楽療法士(資格)の人気が高いようだ。音楽の癒し力を重視すること自体は賛成するが、その資格を売り物にする行き過ぎは警戒すべきと考える。

認知症介護における音楽療法で着目されているのは

➀不安を和らげ、ストレスを解消する

②認知症で衰えた脳の活性化を図る

③音楽を通してコミュニケーションを促進する

などなどであろう(細目を並べ立てることに意味は無い)。

むろん、それぞれに意義はあるが、千差万別の被介護者の個性への適応、また介護度の進行によって効果に大きな差がある。脳の活性化が図られる場合も確かに在るが、それはむしろレア(稀)ケースであろう。音楽を特効薬として位置づけるのではなく、音楽が本来人に持つ力に基づき(その範囲で)、位置づけるのが妥当と考える。

何より強調したいのは、音楽療法をうんぬんする前に認知症に関する介護に精通することが基本で、それなしに進めても、介護サイド、有資格者の自己満足に終わり、あるべき介護者の安らぎへ導くことは至難と付言しておきたい。

2.介護と音楽の実践例

前回は入所施設における入所者と音楽の関わり風景を描きましたが、今回は在宅介護~施設介護でとくに印象に残った音楽との出会い、実践例を記します。

1)在宅介護/歌で問題行動を克服

 ➀在宅事例/認知症を発症した妻が介護者よりはるかに深い不安に在ること、当初はそのことが理解できず、「受け容れ」より「否定/指示」に終始した。しかしある時、音楽を聴いている妻が浮かべた至福の笑いから、音楽に大きな力があることを悟った。

そこで健常時の妻と見た映画音楽や妻がよくうたっていた歌を二人で聴く、さらにいっしょにうたうことを実行した。在宅の介護のあいだ、デイ通所、ショート在所時を除き、ほぼ毎日実行した。このことで問題行動やさすらい願望の衝動はしだいに収まり、心を近づけることが可能となった。

とは言え、忙しさにかこつけてTV他で妻の好む歌をかけ流しておくのではダメ。すぐ飽きてしまい、私が台所に居るすきに外へ飛び出されたことを数度あったからである。音楽とともにそれを補う話し相手(コミュニケーション)が必要なことをこの経験から理解した。また歌と同様に花鑑賞などの共感に訴えることが介護では大きな役割を果たすことにも気づいた。

2)施設介護/歌は個と集団の双方で力を発揮

➀家族会会長を務めた際、私が提案して入所者を集めてうたう会を催した。1人の女性が「先生、うたっていいですね。心がひとつになります」と涙を流さんばかりに叫んでくれた。以降、その方がうたい手の中心となり、施設の集まりは盛り上がった。

②たなばた祭の時、誰もが知る「ささの葉さらさら……(詞:権藤 はなよ・補詞:林 柳波/ 曲:下総皖一)」をみんなで合唱したところ、要介護5でふだんは車イス移動がやっとで発言も皆無の高齢者が口をパクパクするので、「〇□さん、声に出してみようよ」と激励のため軽く肩に触れると、はっきりと声に出してうたい始めた。その際うたい手の目の輝きは、リードした私にとっても心の宝となった。このような例は数度体験した。

3.介護と音楽まとめ

➀歌は特効薬ではない。体の健康を維持する経口食と同様に心の健康維持、幸せ感を向上させるもの。

②うたい手と聴き手が心を開き、充足感を得ることを最優先して考えることが大切。そのことが今日、明日を生きる認知症+高齢化する被介護者の生きる糧となる。

(介護サガ/生命(いのち)の旅・相聞(46

音楽は介護共生を導く!

 

(妻の独白)

私のそばに いつも見知らぬ人が居ます

気になった私は 「あなたはいったい誰なのですか?」

驚いた彼は一瞬口をつぐんでから 「きみの夫だよ」

腹が立って 「そんな人知りません 私には居ません」

呆気にとられた彼は 悲しそうに離れたのでほっとしました

別の時 「きみが好きだった映画を観よう」

たしかに彼がかけた映画は 見たことがありますが

現在の私には 内容が理解できません

私が関心を示さないのに気づいた彼は 映画音楽だけ流してくれました

その歌は心に届いたので 思わず笑みを浮かべ 

つい口ずさむと 彼も嬉しそうに私についてうたいました

その時から 夫でない人が夫と名乗るのを許せるようになったのです  

私は夢に見た人を 「彼となら生涯幸せに過ごせる」と夫に選びました

いま目の前に居る彼が その人かどうかわかりませんが

そばに寄り添ってくれることに 感謝の気持ちが湧いて来たのです

 (夫の独白)

以前妻から問いかけられた 「あなたの奥さんは誰?」

の答えに窮した私が 「では君のご主人は」と切り返すと

「バカなことをきかないでよ あなたに決まっているでしょ」

の答えが返って来て 驚かされた

しかしまだ片肺飛行的に夫と認識する力は残っていた

しかし最近は 私が夫であることも認識できず

そばに近寄ることを 拒むようになった

症状が進行する妻を 放置してはならない

その想いから 妻と私に共通する好みから映画鑑賞を思いついた

しかし妻は映画の筋や時間を追うことが すでに困難になっていた

試行錯誤を繰り返し 私は映画音楽だけを流してみた

すると妻の顔に 歓びの表情が浮かび

自分からうたい始め その歌声に合わせて私もうたうことにした

それを機に 少しでも私から離れようとしていた妻が

共に居ることを 拒まなくなった 

介護では 相反する過度の拒絶と過度の依存が生じるが

音楽はそれらを超えて 共生に導く癒しなのだろう 

在宅介護の体験は デイ通所ホーム入所での共生にも活かされた

(音楽は介護共生を導く!)

在宅、通所、入所を通して、音楽は(単なる療)療法のたぐいではなく、介護共生の導きをもたらしてくれた。

(付記)

*アルツハイマー型認知症7年めの妻は、要介護5となったものの発症当初の苦難を超え、現在グループホームで現世浄土の安らぎを迎えました。

*認知症の課題/「①年間のさすらい願望(徘徊改め)ゆくえ不明者一万五千人以上(年々増加)」「②介護悲劇(心中・殺人、虐待他)2週(1週の説も)に一件発生」は、介護の質を改善すれば軽減が可能です。そのため、わが家の介護で得た成功・失敗の実践情報、アドバイスを掲載。

*以降、本ブログでは、差別用語「徘徊」に代えて「さすらい願望」と表現します。

*本ブログへのご質問、介護のご相談は、お手数ですが、以下へ文書にて問合せ下さい(メール・電話はお受けしません)。当方も文書で誠意ある回答をいたします。介護実践教室などの個別学習会のご希望は、交通費などの実費にてお受けします(概論を省き、実践課題の演習中心。3時間以上必要)。

 〒193-0813 八王子市四谷町776-3 早駒 晋(さこま しん) 宛

*ブログは隔週に更新予定。