去年の終わりの、12月31日。 僕にとって忘れられない一日になった。


それは幼稚園の頃に遡り、今とリンクする。 


僕は、父の日に皆でお絵かきをすることになった。課題は、「働いているお父さんを描きましょう。」

幼少の頃、本当に冷めていた僕は、「またベタな課題やな」って内心思っていた。

皆が一斉に描き始めた。一斉に騒がしくなり、クレパスの取り合いが始まったのである。

その輪に入れない、一人の頭の大きな子供。それが僕だった。


父親を描くことは簡単であった。「働いている。」 の五文字さえなければ。


父親はその頃、東京に行っていた。一日ではない。二日でもない。ずっとである。


幼稚園の先生は、僕が描かないのをサボっていると感じたんだろう。

「早く描きなさい。」って最初はやさしめに。続いて、きつめに何度も言った。


本当に悔しかった僕は、黙秘を続けることにした。先生を完全無視である。


最後には、クレパスを手に無理やり持たされ、強制的に描かそうとさえした、そのとき。

本当に苦しくて、苦しくて僕は大泣きしてしまった。


泣きながら、僕は先生に言った。 「お父さん、無職やから描かれへん。」


幼稚園児にはあまりに辛い、苦い、理由で描けなかった。


正確には、次の仕事に移行する段階であったのだが、僕は今、お父さんが東京で何をしているのかも知らなかった。


父親は、僕が生まれたときには、うどん屋をやっていた。 

「どんなに流行っていても、十年で辞める。」をモットーにして。


事実、傍目にも流行っていたし、順調であった。 しかしである。 父親は本当に十年で辞めてしまった。


「無職。」 一時的にでも、自分の父親が無職になったのである。


母親が幼稚園に呼び出され、「僕が嘘を付いている。」って言った。母親は「事実です」って言った。


幼稚園の先生は顔面が真っ赤になり、次いで青ざめてきた。幼稚園児の僕に平謝りである。

それから、何日間も僕にだけ、とっても優しかった。単純なもんである。そんなもんである。


でも、未だにブログにあのときのことを書いている僕には、あの瞬間が虎馬に感じられ、とんでもなく歯がゆかったのだろう。


東京から帰った、父親は、西武ライオンズのグッズをたくさん、本当にたくさんくれた。

うれしかったし、ホッとした。

お土産として、新たな仕事を持って帰ってきてくれたからである。


それが、「モスバーガー」であった。


「なんじゃそら?」 僕の頭には?マークが何個も何個も浮かんだ。

ハンバーガー自体、そんなに知らなかったし、好きでもなかった。


父親はモスバーガーのオーナーになったのだった。


あれから、17年。 月日の経つのは早いものである。


モスの息子と呼ばれた。 僕に初めて付いたレッテルである。


中学校で店に入って、ポテトを揚げたりしていた。

クリスマスにはサンタの格好をして旗を振ったりしていた。


時間がたった。


去年の12月31日。モスバーガーの看板の光が消えた。もう二度と、その光が灯らないと思ったら。


僕はうっすら泣けてきた。


今日も実家のうどん屋で僕は働いてきた。帰ってきて、今、これを書いている。


父親はまた新しい、夢を追っている。


今度は無職ではなかった。父親はうどん屋を経営している。そして新たな店を建てようとしている。


つまりは、そんな父親を僕は尊敬して止まないのである。