1995年、僕にとってサッカーがとても身近なものになった。


「Jリーグ開幕。」


サッカーを見る、プレイする、応援する習慣が一気に全国に波及する。センセーショナルな開幕であった。


そのとき僕は、小学校6年生。学校ではサッカークラブに参加していた。内心、バスケが大好きだったが。環境がなかったのだ。


話を戻して。学校には、二大チームが存在していた。僕が所属していたのは「名古屋パンパース。」

寒さを通り越し、呆気に取られる最低なネーミング。

しかし、その名前を疑う術もなく、パンパースに誇りさえ感じていた。そんなもんである。小学生の自分は。


当時のポジションは、ボランチかディフェンダー。皆さん思うでしょう。「シブいとこいったね」って。

その頃は身長も高く(後に失速)、少し控えめだったので、誰もやらないポジションに就いたのかもしれない。 しかし、なかなか活躍しました。点もチョコチョコ取ったし、中学生にも勝った。


「中学に入ったらサッカー部に入ろうや。」皆と話していた。しかし、僕は内心「ディフェンダーでは日の当たる活躍が出来るだろうか。」ってとても疑問だった。


僕は、バスケ部に入った。サッカーよりバスケが好きだったから。それだけだった。


Jリーグ開幕の時。Jリーグを実際にスタジアムに行ってみることは、とても困難なことであった。プレミアムチケット。本当に入手困難だった。


当時、神戸に親戚がいた。今もいるがおっちゃんはいない。


神戸の大和ハウスに勤めておられた神戸のおっちゃんは、友人の広告代理店の方にチケットをもらったのだと言っていた。兄貴と僕が二枚もらって、おっちゃんとお母さんがスタジアムまで見送りに。それからは広告代理店のお兄さんと彼女と四人で見ることになったのである。代理店のお兄さんは、ルールもままならず、ルールブックを持って観戦していた。

彼女が可哀想だった。だから、僕がルールを教えていた。そしたら、代理店に睨まれたのである。僕は権力に屈する形で兄貴に助けを求めたのだった。


神戸ユニバー記念競技場。この頃は、恩師のおられるヴィッセル神戸も存在せず、清水エスパルズがなんでか試合を神戸で定期的に行っていた。


トニーニョ。沢登。大榎。堀池。シジマール。


感動した。満員のスタジアムでプレーする選手たち。羨ましかった。本当に。


感動の瞬間から10年。自分の紆余曲折と同じように、Jリーグも成長していた。


10年間。様々なことがあった。神戸のおじさんも交通事故で亡くなられた。


あんなに素晴らしい思い出を頂いたのに。お返しすることも出来なかった。


本日。12月3日。2005年度のJリーグチャンピオンが決定する。


本当に楽しみである。14時のキックオフ。小学6年の時と同様にドキドキしている。


ドキドキドキドキ。ヤバイ。Jリーグがもうすぐ始まるよ。