長男を帝王切で出産した私、娘のときは、逆子が治らず大事をとり入院生活を送っていました。その時点で、第二子も帝王切開は確実になりました予定日は5/24。
破水等の予期せぬ出来事が怖いから、ゴールデンウィーク前に出してしまいましょう。という先生方と、なんとか1日でも長くお腹の中で過ごさせたいという私とで、何度も話し合い。バトルし
連休明け最初の手術日の5/8に出産ときまりました。
息子氏は、保育園に通い始めたばかり。
初夏で暑いのに私が入院前に着せた、長袖、長ズボン。カーゴパンツ、ボーダーシャツ、パーカー同じ服ばかり着たがり、ばあばを困らせていました。きっと寂しかったのだと思います。そんな素振りは、カケラも見せずに、妹の誕生を喜びいっぱいで待ち望んでいました。
保育園には、休まず、むしろ何があっても登園。
中耳炎になり、痛くて泣いていても、保育園には、いってました。
2000年5月8日。快晴。
息子氏、その日は初めて自らの意思で、保育園を早退。母のそばについていてくれました。
15時過ぎに手術室に向かいました。
帝王切開は、二度目慣れたものです。
けれど、わかる分だけ怖さもありました。
手術は、順調に進みました。
生まれた瞬間は、はっきりと覚えています。
生命力にあふれた大きな泣き声。よかった〜心からそう、思いました。
たぁだ、顔見てびっくり‼️ガッツ石松そっくり。オッケー牧場だwやらかしたーw私が出すぎたマネしたーと思いましたー笑笑
当時の息子氏、海老蔵さんちの勘玄くんとそっくりで、お目目ぱっちりのかわいい子でした、赤ちゃんの頃からどこへいっても、綺麗なコだねえと言われ。そして毎回必ず、パパ似?と言われまくっていたので、娘っ子はこりゃーお母さん似って言われるなぁスマン娘っ子よと。思いました。
手術室から出た私に真っ先に駆け寄り、大きな声で、大丈夫か?大丈夫か?と、声をかけてくれたのは、息子氏でした。
びっくりするくらい顔面蒼白で、真剣な顔してて
息子氏よお前が大丈夫か?と思いました笑い泣き
あの日から18年。
娘っ子は、おかげさまで生まれた時のイメージそのまま、生命力にあふれ明るく、たくましく育っています。
息子氏が、つけてくれたお花の名前🌸
お花のように明るく、そこにいるだけで、パッと周りが明るくなるような、愛があふれた子になりますように。母はそんな願いを込めました。


娘っ子のおかげで、私は娘を持つ喜びを知り
息子氏はお兄ちゃんになりました。
娘っ子の明るさと笑顔に助けられ、パワーをもらってここまでやってこれました。
感謝しています。
18歳の一年も、健康で明るく、娘っ子らしく過ごしてほしいと思います。
母は、娘の幸せを祈っています