しばらくは、親が嫌いを書きたいと思います
恨みノートですね
わたしは、小さく小さく生まれました
生まれたとき、1640g
45年前の医療では、一週間生きられないと言われたそうです。
一か月の保育器生活を経て、なんとか生き延びました
当時の保育器は、固定されていたため、いつも窓のある明るい方ばかり向いてしまい
頭の形が悪く、耳も左右で違うし、斜頸になってしまいました、2歳までマッサージに通ったそうです
小さな私の入った保育器を毎日眺めて、無事を祈って、マッサージに通ってくれたのは、祖父母です。子供時代のあたたかく幸せな記憶は、母方の実家とじーじと、ばーばとの記憶ばかりです。とくに、ばーばのことが大好きでした。
いつも明るく、ハキハキしていて、近所の方とも仲が良く、じーじのことが、大好き。とってもあたたかい、太陽みたいな、ばーばでした。私にとって、唯一無二の安らげる場。それが、ばーばでした。
我が家は当時、父が遠洋漁業の漁師をしていたため、普段は母と弟1号と3人暮らし
母に余裕もなかったのかもしれません。いつも、母と弟1号ペア。仲間外れの私。という図式でした
幼稚園に入る前、おそらく4歳、ある日突然、身体中が痛くて、しびれて歩くのも困難になりました。体の感じが尋常ではなく、子供心に死んじゃうのかな?と怖かったのを覚えています
その夜、母と弟1号とお風呂に入るときですよ。
泣きながら痛みを訴え、よぼよぼとやっとの思いでお風呂場へ入った私に
なんだねあんた!たわいないこんやってるじゃないよ!!
と怒鳴り腿を2回、手跡がつき、ジンジンひりひりするぐらいの勢いでたたかれました。
泣きじゃくりましたよ。痛いよ~足が、身体が、痛いよ~なんでたたかれるんだろ?お母さんはいつもわかってくれないばーばに会いたいよそう思って泣きました。
そうこうしてるうちに、びーびー泣いてるんじゃない!うるさいと、さらに怒られる。ヒートアップする母、嗚咽が止まらない私。負のスパイラルですわ。地獄絵図です
翌日、近くの町医者にかかるとそのまま、隣の市にある大きい病院に回され、即入院しました
血液系の病気でした。母はさすがにびびり、心配そうにしていましたが、どこかで、参ったなあって感じで迷惑そうにしているのが伝わってきました
日頃から、叱られてばかり、仲間外れ。仲間外れ感はほんとにきつかった
当時の私は、早く生まれてしまったのも、未熟児だったのも、身体が弱いのも、母親が怒るのも、みーんな自分が悪いんだと、迷惑な子だと思っていました。
こどもって、親のこと大好きですから、どんな環境にいても、その時はそれが当たり前で、親に対して悪い気持ちをなかなか持てないもんですよね
でもねそんな幼い子供の心の中に、とてつもない痛みと共に親が嫌い
という感情が芽生えたのです。ブラックな私が生まれました。この出来事がきっかけだったと思います