玉村方久斗(たまむらほくと) 「蛍狩舟遊図」


  
 平安貴族らしい男女が、舟遊びをしている
ところを描いています。

 しかも、蛍狩りを楽しんでいます。

 今の時期にふさわしい掛け軸です。
 
 玉村方久斗は、このような平安貴族風の絵を
若い時、よく描いていました。

 私は、方久斗の人物画が好きで、、長い間
探していました。

 最近、ふとした機会に、そんな人物画を
入手しました。

 この絵と、もう一点は、「雷神」です。

 この方は、少し、怪奇な絵で、その出典は
まだわかりませんが、ひょっとすると

「雨月物語」の一場面かも、知れません。

 本題に戻りますが、この「蛍狩舟遊図」は、
方久斗らしい、面白い、機知に富んだ絵だと

思います。

 金魚鉢(透明ガラス)の中に、男女二人を
入れている。

 この発想は、よほどの人でないと、
浮かんでこないと思います。

 川面の波の表現も、さりげなく描かれていて、
櫨を漕いていなくても、舟のかすかな、動きも

感じられます。

 また、左右の水草と男の烏帽子の黒で、
画面を引き締めているようです。

 特に、烏帽子の黒色に、何ともいえない
魅力を感じます。

 男の眼の表情も、何かに驚いているようで、
面白いと思います。


 玉村方久斗(たまむら ほくと、1893-1951)は、
大正から昭和初期にかけて活躍した日本画家です。

 京都市中京区生まれ。本名は善之助。
 京都市立美術工芸学校を経て、同絵画専門学校を

卒業しました。

 前衛日本画家としての活動。
 
 玉村方久斗は、京都市立美術工芸学校在学中に、
菊池芳文に師事しました。

 卒業後は、日本画壇の革新を目指す「方久斗社」を
結成し、前衛的な日本画の制作に取り組みました。

 代表作には、《風景》(1920年)、《静物》(1921年)、
《風景》(1923年)などがあります。

 これらの作品は、伝統的な日本画の技法に
とらわれず、大胆な構図や色彩を用いることで、

新しい表現の可能性を探求しました。

 玉村方久斗は、1920年代の日本画壇における
前衛運動の中心人物であり、その後の日本画の

発展に大きな影響を与えました。

 日本画家としての活動

 1930年代に入ると、玉村方久斗は前衛的な
活動から離れ、写実的な日本画の制作に専念

するようになりました。

 代表作には、《母子》(1935年)、
《風景》(1940年)、《静物》(1945年)

などがあります。

 これらの作品は、繊細な描写と豊かな色彩で、
日本の自然や生活の美しさを表現しています。

 玉村方久斗は、前衛画家としての活動だけでなく、
日本画家としての活動でも高い評価を得ています。

玉村方久斗の評価

玉村方久斗は、大正から昭和初期にかけて、
日本画壇に大きな足跡を残した画家です。

 前衛的な活動と写実的な活動の両方において、
優れた作品を生み出しました。

 玉村方久斗の作品は、現在も多くの美術館で
展示されており、日本画史において重要な位置を
占めています。「ジェミニ」参考。