金森得水 和歌集 「那智山滝歌百首」96-100

 金森得水の和歌集は、原文のめくりの
書を、私が、読み下し、始めて活字に
したものです。

 埋もれるのは惜しい。
 専門家ではありません。
 独学で、解釈したものです。


九十六 己能多比者 人屋利奈ら須 那智に来て 
    故〃路多良悲尓 た支遠見累か南

   (このたひは ひとやりならす なちにきて 
    こ〃ろたらひに たきをみるかな)

   「ひとやり」(人遣り)
     自分の意志でなく、ひとに余儀なく
    させられること。

    「こころだらい」(心足らひ)
     心が満ち足りること。

      この度は、自らの意志で、
     (人に聞いたりしたのではなく)

      那智に来た。

       心が満足するまで、那智の滝を
      見ることが出来た。

       自らの意志で、那智の滝を見に来て、
      いかにも、満足した様子が窺えます。

九十七 見ぬ人耳 安利能まに麻尓 か多累登裳 
    うけしや奈池乃 た幾能多〃知半

   (みぬひとに ありのまにまに かたるとも 
    うけしやなちの たきのた〃ちは)

    まだ、那智の滝を、見ていない人に、ありのままに、
   語りたいものである。

    きっと、受けるだろうな。
    今、見たままの誠を、すぐさま。

    この一首も、解りやすいのではないでしょうか。

九十八 比路比えて 徒とに毛か毛奈 岩者し留 
    名千能美やま能 多き能志ら玉

   (ひろひえて つとにもかもな いわはしる 
    なちのみやまの たきのしらたま)

    「いわはしる」(石走る)
     岩の上を水が勢いよく流れる意。

    「しらたま」(白玉。真珠)
     白色の美しいたま。広辞苑。

    「つと」(苞)
     携えてゆくその地の産物。広辞苑。

      拾い上げて、家の土産に持って
     ゆきたいものだなあ。

      那智のみ山の、石の上を走る、
     白玉(水玉)を。

      和歌ならではの、表現。
      岩の上を勢いよく走る水玉を

     美しい白玉と言っているのは、面白い。


九十九 か邊利来て 問者受か多利尓 かた累な里 
    難知の瀧見し 故〃路乎期り尓

   (かへりきて とはずかたりに かたるなり 
    なちのたきみし こ〃ろおごりに)

   「こころおごり」(心驕る)
    思いあがること。慢心。

   「とはずかたり」(問わず語り)
    人が問わないのに、自分から語りだすこと。

     帰ってきて、人が聞かないのに、自ら
    語っている。

     思い上がって、那智の滝を見てきたことを。

     人間、誰しもありがちなこと。
     私にも、経験がありますが。

     特に、珍しいことは、少し誇張して、
    人に話をしたくなるのは、人情では
    ないでしょうか。

     昔も今も変わりません。    

百   母能可者利 星半う川連弩 たか支名乃 
    登者に那賀流〃 南池の大瀧

   (ものかはり ほしはうつれど たかきなの 
    とはにながる〃 なちのおほたき)

     様々な物は、変わり、年月は移っても。
     名高く、崇高な那智の大滝の名は、

    永遠に移ってゆくことよ。

     最後のしめくくりに、相応しいと思います。  

「金森得水」は、私の最初のブログで紹介しました。
幕末の勢州田丸の人。

 茶人として、一部には知られていますが、
歌人としても優れていました。

 和歌集に、「那智山瀧歌百首」「北野奉納梅百首」
「草人木百首」「富士百首」、「茶器物名漫吟五十首」等が
あります。

 玄甲舎の改修の際、出てきたものです。
 そのため、存在が確認されて
いませんでした。

 また、得水は、茶道具等も作っていました。
今も、茶碗、茶杓、香合、蓋置、

花入れ等が遺され、茶道愛好家に珍重
されています。