金森得水 和歌集 「那智山滝歌百首」76-80

 金森得水の和歌集は、原文のめくりの
書を、私が、読み下し、始めて活字に
したものです。

 埋もれるのは惜しい。
 専門家ではありません。
 独学で、解釈したものです。

七十六 滝と以布 多伎尓たく比ハ 那池乃滝 
    古麻毛路故し能 者て乃久尓可裳

   (たきといふ たきにたくひは なちのたき 
    こまもろこしの はてのくにかも)

    「こま」(高麗。狛)
    高句麗の称。高句麗から伝来したもの。
    高麗の称。高麗から伝来したもの。広辞苑。

   「からくに」(唐国。韓国)
    古代、中国、朝鮮を指して言った語。広辞苑。

   「はて」(果て)(涯)
    山野や海などの遠くの端。(ここでは)広辞苑。


    那智の滝は、滝と名のつく滝の中でも、
   他に比べ様がない。

    唐國や朝鮮の、山、海の遠くの端かも
   知れない。
 

    宇宙観のある発想ですね。
    現実では、通用しないが、和歌の力は、
   在りえないことでも、言葉にできます。

    少しも、不自然でないと思います。
    むしろ、発想が面白い。

七十七 南智乃瀧 き天毛見与かし 登川國乃 
    安羅むか氣利能 人の可妓李半

   (なちのたき きてもみよかし とつくにの 
    あらむかきりの ひとのかぎりは)

   「とつくに」(外つ国。外(と)の国の意)
    畿内以外の国。日本以外の国。外国。広辞苑。

     外(と)つ国の、あらゆる人達に、
    日本に来て、見て欲しい。

     この国の、那智の山の大滝で
    あることよ。

     とつくには、特定せずに、
    出来るだけ多くを対象としました。

     今では、この歌のとおり、熊野古道と
    ともに世界遺産に指定されていますね。

     金森得水は、この時代(幕末)に、
    もう、そのことを、暗示していたのかと

    思うと、頭が下がります。

七十八 法乃聲 滝の比〃起登 毛路斗母耳 
    心毛春免留 な知能山寺

   (のりのこえ たきのひ〃きと もろともに 
    こころもすめる なちのやまてら)

   「のりのこえ」(法の声)
    読経の声。

   「もろとも」(諸共)
    相共にするさま。いっしょ。

     読経の声が、滝の流れの響きと
    相共なってて、耳に響く。

     那智の山寺にいると、心も清らかに
    なってくる。


七十九 お古奈比し 故〃路高雄の 法乃師能
    名裳奈可禮所布 那智能大瀧

   (おこなひし こ〃ろたかおの のりのしの
    なもなかれそふ なちのおほたき)

   「のりのし」(法の師。法師の訓読)
    広辞苑。

     法師(ほうし)の、志の高い行い。
    壮大な那智の大滝の流れと、法師の名も、
    添うように、流れている。
  
八十  雲井与利 落くる瀧乃 志ら玉者 
    者奈能ミのり逎 者な能川由可毛。

   (くもいより おちくるたきの しらたまは 
    なちのみのりの はなのつゆかも)

   「くもい」(雲居。雲井)
    雲のあるところ。空。
    (比喩的に)遠く、または高く、遥か
    離れたところ。広辞苑。

   「のり」(法)
    仏の教え。仏典。広辞苑。

     遠く、高く、遥か離れたところから、
    落ちてくる、滝の白玉。

     那智の仏の教えの、花の露かも
    知れない。

     仏の教えと、稔りの花(実)を
    掛けているのだと思います。

「金森得水」は、私の最初のブログで紹介しました。
幕末の勢州田丸の人。

 茶人として、一部には知られていますが、
歌人としても優れていました。

 和歌集に、「那智山瀧歌百首」「北野奉納梅百首」
「草人木百首」「富士百首」、「茶器物名漫吟五十首」等が
あります。

 玄甲舎の改修の際、出てきたものです。
 そのため、存在が確認されて
いませんでした。

 また、得水は、茶道具等も作っていました。
今も、茶碗、茶杓、香合、蓋置、

花入れ等が遺され、茶道愛好家に珍重
されています。