金森得水 和歌集 「那智山滝歌百首」66-70

 金森得水の和歌集は、原文のめくりの
書を、私が、読み下し、始めて活字に
したものです。

 埋もれるのは惜しい。
 専門家ではありません。
 独学で、解釈したものです。


六十六 登伎志ら傳 く頭留〃多き能 志良遊喜半 
    不時与利な知尓 布起於久累良む

   (ときしらで くずる〃たきの しらゆきは
    ふじよりなちに ふきおくるらむ)

    「ときしらず」(時節、季節をえらばないこと。もの。

     季節を選ばず、降る城雪は、滝で崩れる。
     この白雪は、冨士山から、那智に

     吹き送られてくるのだろうか。

     なんとも、壮大な、宇宙観のある
    一首ですね。

     和歌ならではの、表現だと思います。
    こういう言葉遊びが、いとも簡単に

    でき、人を感動させるのも、和歌の
    長所だと思います。

六十七 雲毛なき 所良よ利雨乃 ふ利く留半
    く多けて落る 奈池能瀧男美

   (くももなき そらよりあめの ふりくるは
    くたけておちる なちのたきなみ)

     雲もないのに、雨が空から降ってくる。
     これは、那智の山の瀧波が、

    砕けて落ちてくるのだろう
     わかりやすい一首です。

六十八 知多悲見天 千度姿所 か者利ける 
    多具比毛奈知能 や末乃大多支

   (ちたひみて ちたびすがたそ かはりける
    たぐひもなちの やまのおほたき)

   「ちたび」(千度)
    千回。数え切れない。数多く。あまたたび。
    広辞苑。

    数えきれないほど、那智の滝に着て見が、
   その姿は、あまたたび、変わっている。

    那智の山の大瀧は、他に比べようもない。

    この一首も、那智の大瀧の凄さを表しています。
    そして、偉大な、滝を崇拝しています。

六十九 安奈た布登 是越阿ふ介者 ミ奈かミ半
    以与〃〃高支 名千能大瀧

   (あなたふと これをあふけは みなかみは
    いよ〃〃たかき なちのおほたき)

   「あな」(感。喜怒哀楽を感じて思わず発する
    声。。あ。あら。広辞苑。

   「たふと」(全く。すっかり。)
    「とうと」(尊いこと)広辞苑。

     ああ。尊い。那智の山の大瀧の水上は。
     見上げて、よく見ると、ますます高い、

     崇高な滝であることよ。

      滝を見て、思わず出た言葉、
     感激なのでしょう。

七十  時王可受 く豆留ゝ那智乃 やま能雪
    多き能名遠し母 誰可お者勢介無 

   (ときわかず くずるゝなちの やまのゆき 
    たきのなをしも たれかおはせむ)

   「ときわかず」(時分ける。時わけず)   
    時をわけずに。季節に関係なく。広辞苑。

   「くずるる」(崩れる)
    崩れおちる。天候が悪くなる。広辞苑。

   「おわそう」(御座そう)
    いらっしゃる。広辞苑。

   「おしも」(惜しむ。)広辞苑。

     季節に関係なく降る雪に、那智の山は、
    天候が崩れる。
  
     滝の名を、惜しんで、誰かいらっしゃる
    だろうか。

     難解。解釈するのに、悩みます。
     一旦、こうしておきます。

「金森得水」は、私の最初のブログで紹介しました。
幕末の勢州田丸の人。

 茶人として、一部には知られていますが、
歌人としても優れていました。

 和歌集に、「那智山瀧歌百首」「北野奉納梅百首」
「草人木百首」「富士百首」、「茶器物名漫吟五十首」等が
あります。

 玄甲舎の改修の際、出てきたものです。
 そのため、存在が確認されて
いませんでした。

 また、得水は、茶道具等も作っていました。
今も、茶碗、茶杓、香合、蓋置、

花入れ等が遺され、茶道愛好家に珍重
されています。