金森得水 「那智山滝歌百首」41-45

 金森得水の和歌集は、原文のめくりの
書を、私が、読み下し、始めて活字に
したものです。

 埋もれるのは惜しい。
 専門家ではありません。
 独学で、解釈したものです。


四十一 奈智能瀧 雲美与利見連婆 と起志らて 
    山婦登乞路尓 花序左支多累

   (なちのたき うみよりみれば ときしらて 
    やまふところに はなぞさきたる)

     
     那智の滝を、海より眺めると、
    山に囲まれたところに、花が
    咲いている。

     おそらく、舟から、那智の滝山を、
    見ているのだろうか。

     ここでは、花は、特定されていないが。

四十二 奥ふかく 以く邊毛落る 美く末野能 
    た支に奈ら比て 者満由ふや左久

   (おくふかく いくへもおつる みくまのの 
    たきにならひて はまゆふやさく)

     「いくえ」(幾重)
      幾つも重なる。

     「ならひて」(並びて)
      並んで。並ぶように。

      熊野の那智の滝は、奥の深いところまで、
     幾つも重なって落ちて流れている。
    
      その滝に並らぶように、はまゆうが
     咲いている。

四十三 滝逎音 胡登布留奈智乃 山彦尓
    たきふ多川ある 古故知己所寸連
 
   (たきのおと こたうるなちの やまびこに 
    たきふたつある ここちこそすれ)

     滝の音に、答えるように、山彦が
    聴こえる。
     まるで、滝が二つあるような、
    心地がする。

四十四 君萬乃尼屋 由く邊者るけき 旅人母
    南知能ミ多伎尓 日越久羅新通〃

   (くまのじや ゆくへはるけき たびびとも 
    なちのみたきに ひをくらしつ〃)

     熊野路を、どこへ行くとも当てのない
    旅人。

     熊野の山の滝で、しばらく
    日を暮らすしている。

     もしかすると、熊野路と尼僧を
    掛けているかもわからない。

     百首の、初めのほうの一首に、
    「あいろこいるの」(狭い曲がりくねった)

    のあと、「恋する」の意味にとれる
    カ所があったと思います。
     この一首は、難しい。

四十五 澄濁流 お毛比裳なちに や登可連者 
    由免左邊安良布 多支能音可難

   (すみにごる おもいもなちに やとかれは 
    ゆめさへあらふ たきのおとかな)

    「にごる」(濁る)
      清らかさや、正しさが失われる。
      煩悩が生じる。

      この世に生きて、清らかさや、
     正しさが失わてきたように思う。

      そういう想いで、那智山に宿を
     とることにした。

      滝の音や流れが、夢までも
     洗ってくれる。


      私達、現代においても、よく
     「命(心)の洗濯に行ってくる」とか、
     口にします。
      そういうことだと思います。


 「金森得水」は、私の最初のブログで紹介しました。
幕末の勢州田丸の人。

 茶人として、一部には知られていますが、
歌人としても優れていました。

 和歌集に、「那智山瀧歌百首」「北野奉納梅百首」
「草人木百首」「富士百首」、「茶器物名漫吟五十首」等が
あります。

 玄甲舎の改修の際、出てきたものです。
 そのため、存在が確認されて
いませんでした。

 また、得水は、茶道具等も作っていました。
今も、茶碗、茶杓、香合、蓋置、

花入れ等が遺され、茶道愛好家に珍重
されています。