細井 平洲(ほそいへいしゅう) 「詩書義之府」

 細井平洲の一行書。
細井平洲は、尾張(愛知県東海市)の豪農の家に
生まれました。江戸中期の儒者。
 
 朱子学と陽明学の折衷派で、実践者でもあり
ました。

 江戸に出て、塾を開き、諸藩の教育や、
街頭などで演説をよくし、その平明なことで
大変人気がありました。
 
 また、米澤藩主上杉鷹山に招かれ、藩校
「興譲館」の設立藩政改革に尽力しました。
 のち、尾張藩校「明倫堂」の督学と
なりました。

 「詩書義之符」 
 「ししょ ぎのふ」と読むのか。
 漢詩や書物は、知識の蔵であるというような
意味でしょうか。

 書物には、あらゆる知識が詰まっているから、
読書をよくするようにということでしょうか。
 今でも活きている言葉ですね。

 私も、もっと本を沢山読んでおけばよかった
と思っています。 

 (上杉鷹山がが藩主に就任した時、儒者、
細井平洲が、上杉鷹山に贈った言葉として
有名)

「勇なるかな 勇なさるかな
勇なさざるは を以て行わんや」

 大意(大いなる勇気があるのであれば、
勇気を以て行動すれば、人は理解してくれる。