2001年にお笑い芸人を自称し活動をはじめました。

当時は今ほどお笑いライブの数もなく、オーディションを通った一握りの芸人さんしかライブには出れない状況。

 

僕らどきどきキャンプも月に1回か2回あるネタ見せに通いつつ、仲間と路上ライブをはじめました。

路上ライブは何のオーディションもなくネタが披露できて、すぐにリアクションもわかる楽しい修行の場でした。

 

かめもんたるや小島よしおくんがいるWAGEとか、

GEESEの尾関君(当時トリオだったかな)とか

全然路上ライブで声を張るタイプの芸人仲間と一緒に、必死にネタをやったものでした。

 

数週間、数ヶ月やっていくうちに、少しずつ人が集まるようになってきました。田中さんと最初にあったのはたぶんそこです。

誰かに連れられて、誰かを見にきた田中さん。

当時はなんか特徴的なハンドルネームを持っていたと思う。

そして派手なオシャレな服装をしていたのでよっぽど僕らより出演者然としていたのを覚えています。

 

田中さんは上記の芸人の中でも、割と僕らのネタを中心に笑ってくれていた中の1人でした。

ネタ終わりに会話もするようになりました。

どうやら、吉本のライブにもよく行っているという。

お笑い好きに笑ってくれてるとしたらそれはありがたいことで、印象的なお客さんでした。

 

僕らは劇場で開催されるライブにも出演する機会が増え

田中さんは友人とそこにも来てくれて、よく笑ってくれてました。

僕らの開催していたライブはそのままフェードアウトして、田中さんとはぱったり会わなくなったのでした。

 

当時、お笑い芸人ファンサイト(魔法のiらんどとかでできるやつ)が全盛の時代でお笑いライブファンの皆さんがこぞってライブの感想を書き溜めてくれていて、芸人仲間でよく読みあうこともありました。

(ちなみに僕らのコンビのファンサイトは半年で閉鎖し、そのままそこがキングオブコメディのファンサイトになっていました)

 

そんな中、以前田中さんの特徴的なハンドルネームが運営するサイトを発見。

僕らが出たライブの話なども書いてあり、楽しく読んでいました。

驚いたのはその表現力。

お笑いライブの感想、日常の報告、全てが表現力と活力に溢れていました。

そうか、田中さんは今また吉本のライブに行ってるのだな。

勝手にそんな確認をしながら我々は別のライブに出演していく日々。

 

 

そこからそんなことも一切忘れた10年~11年後。

田中さんは某タレントさんのマネージャーとして僕の目の前に現れるのです。

一気に蘇る記憶!!

僕が作家を担当していたラジオ番組のパーソナリティのマネージャーさんとして名刺交換。

すごい懐かしい話などをしながら。

スッキリの現場にも来てたこともあったなあ。

 

そこからまた数年。

彼女からプロダクションを辞めてライターになったと連絡がありました。安定した仕事を捨ててフリーのライターになるとは、それなりの覚悟を決心があったのでしょう。

詳しくは聞いていませんが、そんな熱を感じた連絡でした。

 

 

今回の本を出版するにあたり、「取材させてください」と真っ先に連絡をくれたのは田中さんでした。

20年ほど前にお笑いライブ(というか路上)で出会って、まさかトイレの本の取材でご一緒できるとは。

そして出来上がった記事は当時僕がこっそり見つけて読んでいた田中さんのホームページで見た、人を引き付ける文章そのものでした。インタビュー記事は本当に難しい。

それがわかっているからこそ、すごい感動したのを覚えてます。

 

人の縁とは不思議なもので、こういった流れもあるんだなあ。

勝手に感慨深くなってしまって。うれしかったなあ。

 

最近また田中さんがやっているnoteを読み込んでいたらその文章力と表現力に驚かされつつにやにやしながら読み進めているとこんな記述を発見。

 

 

「私の青春は平成ノブシコブシとグランジでした」

 

 

 

僕ら全然関係なかった!

 

 

ということでそんな田中さんが取材してくれた記事こちら。

https://book.asahi.com/article/13711643

 

 

 

今週、またいくつか取材記事が公開になりますのでよかったら。