母校・桜美林大学にお邪魔してきました。

大学の会報誌の取材ということで訪れたキャンパス。

卒業したのが2000年だったかと思うのでここまで中を歩くのは21年ぶり・・だったかと思う。今書いてて改めて思うけどぞっとする数字ですねこれ。

 

半年ほど前に訪れた学長室は新しくできた校舎だったし、その後にあった学長との対談も新しい校舎だったし。

今回は学生時代の思い出ということで担当の方と校舎を見て回りました。

 

 

 

もう僕らがサッカーをやってたグランドは新しい校舎はできてるし

行ってた食堂はファミマになってるし

思い出を探りに行ったものの、はじめましての光景ばかり。

この写真の校舎の真ん中にある空間は、思い出がありました。

大学4年の時にフォークダンスde成子坂、3年の時はジョーダンズが来てくれたんだった。

同時期に大学に通っていたU字工事の二人とはこのあたりで何度もすれ違ってるはず。

 

 

 

校舎に入り、授業を受けてたであろう教室に。

全く記憶が思い出せないまま、担当者の方と絶句して終了。

20年も経つと記憶はどっかいってしまうのかもしれません。

色々と記憶の糸を強引に手繰り寄せてなんとか思い出っぽいことをしゃべるが手応えがない。それっぽい話はしてきました。

 

 

 

そして今日一番の驚き。

そうなんです、僕は大学4年の時に「卒業アルバム委員会」に入ったんでした。あれだけ友人のいなかった桜美林大学文学部中文科の4年間。

なぜ卒業アルバム委員会に入ったのか?

全く思い出せないのだけど数少ない友人に声をかけてもらって断るの苦手で断り切れなかったのか、4年なって思い出を作ろうと思ったか・・定かではありません。

「卒業アルバム制作委員会」って何してたんだろう。

担当の方に聞いたらもう今は卒業アルバムなんて作ってないだそう。

 

 

以降、なんとくおぼろげな記憶を淡々と語って取材終了。

とりあえず中文科に入ってよかったのは大好きな三国志を漢詩で読んだことと、三国志トークをする仲間ができたこと。

だいたいみんな二松学舎か大東文化か迷って桜美林の中文科に入ってた人ばっかりでした。

もしくはそれらを両方を落ちた人。

 

大好きな横山光輝三国志の例えをさっと出してもみんなにすぐ伝わる仲間は貴重でした(そんなに友達いなかったけど)

 

 

学校では今日、オープンキャンパスが行われていて

大学を目指す高校生がわんさかいらしてました。

 

 

取材終わり、数少ない大学時代の友人にキャンパスの写真を送ってみたものの、「これどこだっけ?」的なリアクション。

僕が絞り出したあの記憶たちはちゃんとしたものなのか?

もしくは僕が作りだした妄想なのか?

どちらにしてももう取材は終わってしまったので取り返しはつかないのだけど。