結婚か引退か卒業か?

 

あまりポジティブな印象を受けたことが無いタイトルですがいつか書いてみたかったので。

 

4年間、火曜日を担当したbayfm ON8+1が終了することになりました。

「ご報告」と書くほど大した話ではありませんし、

そもそも「ご報告」するほどそんなことを気にしている人がいるとも思えません。

皆さんに生活には一切影響を与えない「ご報告」なのです。

でも「ご報告」はそういうものなので、非常にちょうどいいご報告だなと、思っています。

 

少数派の皆様にご挨拶します。

毎週のようにご参加いただいた皆様

何度か聞いてみたことのある皆様

そもそもそんなことをやってたことも別に知らなかったという皆様

番組に関わってくださった全ての皆様、本当にありがとうございました!!

 

僕はラジオに少しでも関わりたくてお笑い芸人になりました。

オーデカナイトというラジオ番組に笑わせてもらい、励まされ、青春時代を過ごしました。

そこからお笑いが好きになり、劇場に足を運び、高校の友人とはじめてコントを作って。

 

どうやらお笑い芸人になるとコントもできるし、ラジオもできるみたいだという

かなりざっくりした情報を元に

大学卒業後、2001年にどきどきキャンプを結成し活動を開始。

はじめてラジオというラジオに触れることができたのは2004年か2005年に文化放送の「のーぎゃらくん」というオーディションで優勝して

地方局かBSのみで放送されるラジオを担当させていただいたのがおそらく最初。

大好きなくるり、サニーデイをたくさんかけた気がします。

 

ちなみに、その時アシスタントをしてくださった鈴木純子アナが先日ツイッターでON8終了を知り

「ラストはくるりをかけるんですか?」と返信をくださいました。

あれだけキャリアもあって多くの番組を担当した方が一回ラジオで共演した芸人のかけた曲まで覚えててくださるとは!

15年も前のことなのに!ありがたいです。

 

 

その後、当時めちゃくちゃお世話になっていた作家の柏田さんにお声がけいただき

JFNの深夜生放送オアシズと鈴木ダイさんの番組「ミッドナイトランブラー」に不定期で出させていただきました。

くるり「赤い電車」の曲紹介をさせてもらったのを強烈に覚えてます。夢のイントロ乗せ曲紹介をした日。

 

ほんとにお笑い芸人になると、ラジオに触れることができるのだな、そう思っていました。

しかしながら当たり前ですがゆっくり時間を持たせてもらって番組を担当する様子はないし、全く想像もできません。

それはラジオ局は限られているし、24時間もう枠が決まっていて

ラジオをやりたい人が山ほどいるし。

そして、その素養が自分にどこまであるか全くわかりませんでした。現実を見るのも怖い。

 

2008年に爆笑レッドカーペットに出演することでアルバイトをやめて少しだけTVに出ることができました。

同時に少しだけラジオ番組にもゲストで出演させていただく機会も出てきました。

憧れのラジオにまた少し近づいた、気がしました。

 

このあたりから、出演した番組の原稿を持って帰り

勝手に自分で架空のラジオ番組の原稿を書き始めます。ラジオが好きすぎて勝手に架空のラジオ番組の原稿を書いて遊んでいました。

暗い。そして、「ああ、別に自分がしゃべらなくても全然いいんだな」とも思えたタイミングだったかもしれません。

 

オードリーのオールナイトニッポンがはじまるタイミングで本人にお願いし

放送の2回目から見学でお邪魔させていただくことになりました。

(1回目はいきなりDVDの収録が入るということで、邪魔してもあれなので行きませんでした)

 

そこでオーデカの作家でもあった藤井青銅さんと出会い、色々と教えていただくことに。

そのまま作家の勉強を番組でさせていただくことになり数年間通いました。6年目くらいまで行ってたかな。

昨年から再び番組に呼んでいただき今もお世話になっています。この番組との出会いも財産。今も宝です。

それからニッポン放送さんとのご縁ができて

ANN0の作家を1年やらせていただいたり、特番を担当させていただいたり。ありがたい話です。

 

放送作家としてのキャリアをスタートさせて、TVの作家もはじめて

今ではすっかり作家の仕事が多いのですがそのあたりの境目をあえてつけずに活動しております。

「どうしたいの?」とすごく言われるのですがそう言われなくなったら終わりだと思ってるので、まだ大丈夫なのかなと。

 

ラジオに話を戻します。

TVで大好きなトイレの話をさせてもらう機会があり

ニッチなテーマだったことから11月10日トイレの日あたりのラジオ放送でゲストで呼んでいただく機会が増えました。

そこに異様に食いついたのが宮川賢というラジオおじさんです。

TBSラジオ「パカパカ行進曲」の人であり「誰なんだおまえは」の人です。

 

ラジオもやって以前は放送作家として活動した時期もあって

なんだか僕がやりたいことの先にいる人のような気がして。

何よりその人が僕に興味を持ってくれたのも嬉しかったのを覚えています。

そして僕は宮川さんのラジオ日本の朝の帯番組で、月1レギュラーになりました。

 

1年ほどで番組が終わったタイミングで宮川さんと2人で喫茶店で話していて

ラジオの現状と、ラジオをミニマムで作る方法など作戦会議を。

 

ラジオもTVと一緒で制作会社が独自で制作し、完パケて納品することもあるのだとこの時知りました。

宮川さんは自分で制作会社を持っているので収録、編集、納品まですることもあるとのこと。

「トイレのラジオ番組があったらバカバカしいなあ」という結論になり、試しに書いてもらった企画書が通り

トイレのラジオがスタート。

 

「アメトーーク」のトイレ大好き芸人に出た時にトイレラジオの話をしました。

「なんだよその番組!!!!」皆さんにつっこんでいただき、次のトイレラジオ収録の時に

宮川さんと固い握手をしたのを覚えています。まさに「ばかばかしいけど内容はしっかりしている」

そんな番組の魅力が一番いい形で武器になった日でした。

 

宮川さんの制作会社で収録する番組は全部低予算です。

宮川さんが録音ボタンを押して、宮川さんは別の仕事でいなくなったりして

半畳くらいの狭いブースで、僕は独り言のようにトイレの話をして。

終わった頃宮川さんが帰ってきて止めて。

月に1度、まとめてそんな収録をしています。あれはあれですごくいい。

トイレラジオは予算がほぼかかってないので終わりにくいのです。

 

 

そんな中、僕の野望は尽きることがありません。

もっともっとラジオの仕事がしたくなった僕は勝手に書いた番組の企画書やフリートーク音源を

知り合いを辿っていろんなラジオ関係者に配り始めました。

今考えたら事務所のマネージャーにも怒られそうなもんだし、相当痛々しいやつなのだけども。

なりふり構わずだったなあ、振り返ると。ラジオ局だけではなく面識もないラジオ制作会社に送ってみたり。

 

まあ、そんなことをしたところで何も巻き起こらないわけだけど

1社だけ返信をくれたラジオ制作会社の方がいました。

その方にお会いしてご挨拶して「とにかく表でも裏でもラジオに関わることをしたいです」と伝えて。

 

数年後、2014年末か2015年頭にその方から

「bayfmで昼の番組の作家さんを探してるんだけどどうですか?」と連絡いただき

既にいくつかのラジオとTV番組の作家として活動をはじめていたので更なる挑戦としてすぐさま受けさせていただきました。

 

2015年4月からbayfm昼の番組「withyou」木曜の作家を担当。

ディレクター浜野さんとの出会いでした。

その時の秋、浜野さんが担当した「中村優一 君の話も聞かせて」の作家もスタート。

 

withyouが2016年3月で終わることになると聞いた頃

浜野さんから夜帯の番組のDJのオーディションをしていることを聞き

「せっかくだから受けてみれば?」と誘っていただき

作家として生放送を終えた後、DJのオーディションを受けました。

 

2分のフリートークと曲紹介。ずっと練習してたそれだったので、変な話ですがすごく手ごたえのあるオーディションだったのを覚えてます。

ワンダーフォーゲルの曲紹介をしたんだった。

 

僕はそのオーディションに合格し、2016年春「ON8+1」のDJ兼構成作家として番組を担当させていただくことになりました。

勝手に架空の台本を書いて勝手にラジオ番組を録っていろんな人に送り付けていたことが

こんなタイミングで役に立つとは思いませんでした。

以後、大好きな音楽をかけ、大好きな人の話をし、僕が中学時代に憧れたあの時間帯のDJを

嘘みたいな話で信じられないまま4年間、担当させていただきました。

 

ON8自体がなくなってしまうには当然悲しいけども、番組残ってDJだけチェンジよりは

全然いいかなあ。なんて思ったり。

 

僕は引き続きラジオの仕事に挑戦していくことになると思います。

企画書もたくさん書くでしょうし、DJとしても作家としても

ラジオ局をうろうろする生活をなるべく続けるため、実力つけていこうと思います。

また音楽番組やりたいなあ。

ともかくやっぱり、中学校時代、ラジオしか生きがいがなかった僕みたいな人を救ってくれたようなラジオ番組を

できるような人間に成長していきたいなと思います。

 

ここからは余談。

一番弟子・松田好花さんの番組企画書を書いてて思ったのが

ああ、この番組が実現するなら、もはや僕が作家でさえなくていいなあと思ったので

大好きな人が好きなようにお話できる番組が実現するといいなあという

そんな気にもなったのはまたラジオとのかかわり方としてすごく不思議な感情。

 

 

さあ、ということで長々と書きましたがつまり僕が言いたいのは

関係者の皆さん僕は夜帯空きましたのでどうぞ使ってください。佐藤のここあいてますよ、です。例の。

 

 

そしてbayfm火曜ON8+1は残りあと4回!

 

3月10日→今のところ通常

3月17日→今のところ通常

3月24日→若林正恭くんゲスト。日本語ラップをひたすらかけて解説してもらいます。

早速メールで「2人で日向坂の話をしてほしい!」とたくさん来てたのですがおそらく春日の時と違ってあんな感じにならないと思うのです。

あの時のカスキンとのトークも面白かったですけども笑

音楽番組らしい時間になると思います。あと、ほんとに来ないかもしれないし。鬼の気分屋だから。

3月31日→最終回 THISWEEKスペシャル

 

こんなイメージになりそうです。

 

 

さあ、新しいお仕事の話も3月中には解禁できるかと思います!

今回の改編は終了1開始3です。感謝!

 

今日はスッキリの作家業で裏にいたところ

憧れの宮本浩次さんが!!僕の横を歌いながら通り過ぎていきました。元気出た~!!!