(写真はトイレッツのメジャーデビュー寸前の僕と伊藤俊吾。2017年夏。)

 

 

 

「伊藤俊吾は天才だ」

 

タイトルで結論が出ている話で、更に「もうわかりきったこと」をつらつらと並べてみようと思ったのはキンモクセイの14年ぶりとなったアルバム「ジャパニーズポップス」が本当に素晴らしかったからだ。

 

「伊藤俊吾は天才だ」と最初に僕に届けてくれたのは近田春夫さんだ。

記憶は定かではないがロッキンオンだか、なんだかに歌詞をメインにベタ褒めした文章を書いてたと思う。

「そうだよ、そうなんだよ春夫!」と思ったのは僕だけではないはずだし

歌詞だけではなく曲も声もそりゃそれは凡人にできるそれではなく。音楽好きの1人としては衝撃だった。それを言語化してくれた春夫(友達でもなんでもないけど)に感謝。

 

キンモクセイは「二人のアカボシ」が大ヒット、紅白歌合戦に出場した。

そこから「アカボシ」という基準を作ってしまった天才とヒットを期待する大人たちと

メンバーと微妙な距離感に全員が悩まされたことは想像に難くない。

そりゃそうなんだろう。そりゃ、どうしたってそうなんだろう。

次作も次々作も伊藤俊吾が作ったのは良質な音楽だった。

「SUMMER MUSIC」は今も夏になれば聴くし、

ドライブ中に「車線変更25時」をかけることも多い。

これも誰しもわかっていることだがヒットするかどうかは「良いか悪いか」の判断ではない。

ただ、大人が仕事にするかどうかの判断材料にはなるのだ。当たり前だが。

後にキンモクセイは活動を休止する。

詳しくはわからないが伊藤俊吾は人知れず、音楽から離れていく。

この時期に彼が何をどう考えていたのかは全くわからない。

何も考えてなかったのかもしれないし、大好きな車の整備をしていただけかもしれないし、想像の何倍も強く悩んでいただけかもしれない。

 

僕がトイレのバンドに誘ったのはそんな彼が音楽と再び触れ合うかどうかの間際にいる頃。

狙ってそのタイミングなわけではもちろんなく。

高校の先輩である佐々木良に声をかけてその流れで連絡をとってもらったのが最初だ。

(後述するが「佐々木良は普通だ」と言われる彼がバランサーとして天才を支えている、むしろ佐々木良がいないと天才は天才として存在できないほど伊藤俊吾が変人であることは間違いない。)

 

 

四畳半レコードの完成。

自宅の四畳半でこれでもかというくらい自分の生活、生き様と音楽を煮詰めた名盤。

素晴らしい音楽だった。

以降、「日の当たる坂道を」「セカンドライフ」をはじめとことん彼は自分の生活を掘り下げて掘り下げて曲を作っていく。

自分を掘る作業は向き合う作業だからある種の開き直りが必要。

ここ数年の彼はそれが得意だったように思える。年齢もあるかもしれない。

 

ドタバタでできた「ジャパニーズポップス」

多くのファンが望んだキンモクセイの復活。もちろん、過去の名曲を再び「あのメンバーで」奏でることをメンバー自身が選択したのだとしたらこれ以上嬉しいことはない。

ただ。ずっと続けてほしいとも正直思っていない。

それは、伊藤俊吾がどう思うだけ僕は気になっている。彼の創作意欲や彼のモチベーション次第でやったりやらなかったり、してほしい。

天才は我儘でいてほしいと思うし、何しろ歪みが生活に影響を与えるのは苦しすぎるから。

 

散々、伊藤俊吾を天才だと書いた。

もちろん、ここでいう天才は1人で成立するものではなくグループがその天才を成立させていたのは言うまでもない。ただ、今回のジャパニーズポップスで感じたのは

やはりキンモクセイは伊藤俊吾のグループなのだ。どうしたってこれは。

 

今回のアルバムは他メンバーが作詞作曲をしている曲も多く

全て曲が素晴らしく、全ての曲がちゃんと「キンモクセイ」だった。

伊藤俊吾が歌えば、ちゃんとキンモクセイになる。そう感じさせてくれたアルバムだった。

ソロ作では自分を掘り下げ、バンドでは今のキンモクセイでしかできない幅を見せてくれた。

 

佐々木良はふつうだ

伊藤俊吾は天才で、超変人なので、バランスを取る必要がある。

その変人の意見を汲み取って世に出したのは間違いなく佐々木良であろう。

普通は時に才能で、最高で、天才が生活するためには欠かせない存在になる。

オードリー、山里亮太などの天才と僕は仕事をしているのはそんなことかもれないと自分の身に佐々木を置き換えてみたり。だから他人事ではないのだ。佐々木良がもっと評価されないといけない。

「普通」だからできることはたくさんある。

 

 

伊藤俊吾が次に何を作るのか?

離婚をして茨城に住んで、川崎に引っ越した伊藤俊吾がこれから何をするのか。

彼にもわからないだろうし、僕らにはもっとわからない。

ただ、「音楽は素晴らしいものだ」と感じるそんな2020年になる予感はするのである。