2011年3月11日の東日本大震災から一年。
2月4日、コルネリオプロコピオ日本語学校の新学期。
この日から「Pray for Japan from Brasil!」を合言葉に下は6歳、上は老人クラブの84歳のおばあちゃんまで、皆で力を合わせて、何とか日本の裏側、ブラジルからも思いを届けよう!と千羽鶴作りを開始!
*ポルトガル語でブラジルは「Brazi」lではなく「Brasi」。故に表題も敢えてBrasilになっております。
2月といえば、ブラジル最大の連休「カーニバル」があり(約1週間ほど)、3月に間に合うか懸念された。
しかしながら、とにかく「案ずるよりも産むが易し」で、とにかくやってみることに。
子どもの中には鶴を折るのは初めての者もいたり、作ったことはあっても、自分ひとりでは作れない子どもが殆ど。
ブラジルでも「Origami」と呼ばれるほど、折り紙は浸透しており、学校でもたまに作るそうだ。
とはいえ、なかなか悪戦苦闘の子どもたち。
被災地での写真を見せると、幼心にショックを受けたよう。
折った鶴に祈りを捧げた。
必死で祈るRちゃん。
悪戦苦闘の男の子。呆然とするEくん。
先ずは折り紙にメッセージを。
一方、壮年期の皆様はかつて子どもの時に折ったことがある。ということで、思い出し思い出し、指を動かす。
老人クラブでは、さすが皆様!素晴らしい手つきでおっておられる。といっても、初めて折る方も折られて、それはそれは一生懸命折っていらっしゃる。
そもそもこの老人クラブでは折り紙と体操をやっているのだが、是非鶴を折ろうじゃないか!と皆さんとお話しながら、「日本に千羽鶴を送ってはどうか。」ということになったのだ。
皆様、俄然やる気で、黙々と折られていた。
2月4日から、コルネリオプロコピオ日本語学校の千羽鶴との戦い36日間が始まったのである。
今日から数回に分けて、その模様をお伝えします。
余談ですが・・・
思い起こせば、2011年3月11日(金)その日は日系社会青年ボランティア日本語教師の研修がJICA横浜で行われていた。
6階の会議室は揺れ揺れにゆれた。
2009年インドネシア赴任中に遭った地震がよぎり「これは、本当にだめかも・・・」と覚悟した。
未曾有の危機に直面したこの時期にブラジルに行っていいものか、最後まで思いあぐねた。
税金を使ってのこの事業。今、海外に出ることは正しいのか・・・
色んな思いが交錯する中、派遣前訓練を終え、出発まで一月が残された。
その間の10日間たらずという短い間だったが、岩手県へ震災ボランティアへ。
これまでの人生では考えられないもの、想像を遥かに超える経験をさせていただいた。
そこで見たもの、感じたこと、何より出会った人々。
この10日間がなかったら、今、ブラジルでの日々もないかもしれない。
海外からも多くのメッセージや支援物資が届いている。そして、被災地には全国各地から日本を何とか立て直したい!一緒に復興を!という思いをもった方が老若男女が一緒になって、一つの目標に向かってひたすら、必死になって作業をこなす。
気が遠くなるような作業。穂頃まみれのヘドロのついた砂利をふるいにかけ、ヘドロを洗い落とす。
己の無力さを痛いほど感じる・・・
ボランティアにできることは限られており、些細なことしかできないが、その積み重ねこそ本当に重要だなと身を持って感じた。「コミュニティーの力。市民の力。」
其々の役割を認識し、力を合わせて、何かを成し遂げようとする精神。
「日本は日本人は大丈夫!!」確信を持った。
日本人であることを誇りに思った。
ボランティアの原点。もらうもののほうが断然多い。してあげるんじゃない。
この今の現状を世界の皆様に伝えること。これも日本人としての役割なのではないか。温かい支援を下さった皆様にお返しすることも(私の場合、ブラジルですね)大切な役割なのではないか。
そう思えるようになったのです。
だから、ブラジルで活動する決意ができたのです。
まだまだ岩手での日々は書ききれないので、また改めて書きたいと思います。
一緒に作業した仙台出身のKくん。ソロモンに赴任中。元気かな。
釜石市箱崎町の港にて。
たくさんの帆立をいただき、被災されても尚、必死に復興に立ち向かう皆様。
そして、深い深い温かさ・・・皆様の温かさが胸にしみました。



