子供、大好きです。
 
 
純粋な人が好きなので
私にとって子供は問答無用に
たまらなく愛しい存在です。
 
 
兄弟の子供、友達の子供、
可愛すぎて可愛すぎて
会いたくて会いたくて
うずうずします。
 
 
なのに
自分の子供を望んだことがないのです。
一度も。
 
 
年を重ねるにつれ
その気持ちは強くなるばかりで。
 
 
説教?されることもあります。
いかに我が子が可愛いか
熱弁されることもあります。
将来さみしいよと言われることもあります。
 
 
子供は可愛いです。
自分の子供だったら溺愛するでしょう。
もしかしたら孤独な老後かもしれません。
 
 
子を産むこと
育てること
尊敬してやみません。
 
 
母になること程の
人としての成長はできないかもしれません。
 
 
人間として、女性として、
すべきこと
理解できます。
 
 
でも、
 
 
ごめんなさい。
 
 
母にならなくてもいいですか?
 
 
もし神様がいるのだとしたら、
子を産むためにこの世に
生かしてくれたのだとしたら、
私の身勝手をお許し下さい。
 
 
なぜ私だけ自分の子供を産み育てたい
という気持ちが湧かないのか
何が理由なのかは分からないのですが
 
 
結婚して
好きな人との子供を作って
力を合わせて生きていきたい
 
 
ではなく
 
 
好きな人と好きなだけ甘やかし合って
生きていきたい
なのです。
 
 
両親に孫の顔?
弟と妹が7人見せてくれました。
 
 
それでも私の子供が見たいという親に一言
欲張り!(笑)
 
 
望まない私にでさえ周りからの
子を産むことへの強いプッシュ。
 
 
あと何年、何歳まで
子供は?
子供は可愛いよ?
子供は早い方が良いよ?
というセリフが続くのかな。
 
 
でも
もしこれが
望んでても恵まれない人だったら?
 
 
望まない私は冷静に、
望んでるけど恵まれない人の
心の心配が膨らむばかり。
 
 
特に結婚してから
このセリフが多くなったから。
 
 
望んでる人にとっては
きっときっと、ものすごくキツイ生活
 
 
拷問のような長い長い時間でしょう。
 
 
世間では
子を持つことの良さを
どれだけ綴っても問題ないものの
子を持たない良さを綴ることは
許されない空気。
 
 
望まない女性と
望んでも恵まれない女性、
側から見ると同じ子を持たぬ女性。
 
 
だけど心の傷は
何百倍も違う。
 
 
でもね、
 
 
「子を持つ者、持たぬ者、
互いに憐れみ合っている」
 
 
という言葉があるように
それでいいのだと思います。
 
 
互いに妬み合っている
ではなく
互いに憐れみ合っている
という表現が使われているように
 
 
相手を憐れむくらい
お互いに、お互いには分からない
とっておきの幸せがあるということ。
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今日こんなことをふと書いたのは
 
 
望んでる人からすれば
絶望とも思える子のない生活も
心から望んでその生活を
選択してる人もいるんだよ
ということ
 
 
望まない私の幸せが
望んでも恵まれない女性の
気持ちの切り替えに
なれたらいいなと
 
 
思ったりしました。
 
 
さとみ