出演者は知っている人ばかりという不思議な感覚。
約二時間、ほぼ最初から最後まで泣きっぱなしでした。
ここ20年余りの彼らとの関わり、キューバ音楽との関わりがあれこれ思い出され、気持ちがかき乱されました。
お客さんもたくさんの方が泣いていました。
こんなに正直な映画が作れるなんて!
その奇跡にも感動しました。
前作もそうだけど、キューバのミュージシャンの人となりがそうさせたのだと思います。
キューバ音楽がなかったら、私は生きていません。
キューバ音楽と出会い、歌うことで全てが始まった。
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むかし、キューバ料理のレストランボデギータが六本木にあった時、ライブをやっていたら、イブライム・フェレール夫妻が来て、下手真ん中あたりのテーブルに座りました。
悲しいことに、とても広い店内にお客さんはほかに日本人が一~二人しかいなくて、空席ばかり。
それでもやらなければいけなくて、情けないやら緊張するやらで、歌いながらも焦りまくっていました。
私の歌はどうだったんだろう。お客様を、イブライム夫妻を喜ばせる事ができたかな。
ドキドキしなから歌い終わったら、イブライムは大きな音で拍手をしてくれました。
そして、こんな自信なさそうな日本人の歌なんて聴いてくれるのかな、途中で帰ってしまうかなと思ったら、驚くことに最後までいてくれた。
なんで?なんで?
どうして最後までいてくれたの??
あんな大スターがこんなひよっこみたいな私の歌を最後の曲まで聴いてくれた事が、不思議でしょうがなかった。
そして、その夜は、大歌手の前で上手く歌えなかったガックリ感と、恥ずかしさと、でもイブライムは優しい目で拍手してくれたという嬉しさがないまぜになり、なんともいえないフクザツな気持ちでもんもんとしていました。
そして、翌日は立ち直り、よし!次にイブライムに会った時には自信持ってステキな歌が歌えるようにがんばろう!と気持ちを新たにした。
でも、その日は来なかった。
しばらくして彼の訃報を知ったのです。
“次”なんて無いってその時知った。
それからは、今までずっと忘れていない。
いつも、誰かに会うときは、その日、当日、その時、しかない。
“次”は無い。
そう思ってる。
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今日、映画を観て、改めて、私はイブライムの何を知っているつもりだったんだろうと思って、ガグゼンとした。
彼の生きた人生の大半は、厳しいものだった。
そして、長きに渡る不遇の時期を体験したからこその優しい目、優しい歌声だったのだろう。
ままならない時の苦しさを知っているから、だから私の空席ばかりのライブでも、めちゃくちゃ上手くなくても、「良かったよ」と言って拍手して最後までいてくれたのかもしれない、と思った。
忘れっぽい私でも、この思い出だけは忘れられない。
あの時の夫妻の姿を鮮明に覚えていて、今までずっと、ことあるごとに思い出しては涙ぐんで、を繰り返してきた。
実は7月から、この映画を観に行くか迷っていた。
今日ようやく重い腰を上げ、映画館に向かったのです。
観て本当に良かったなと思った。
そして、この記事を書きながら、「もしや!?」と思って、帰宅してからネットで調べたら、今日は奇しくもイブライムの命日だった。
偶然にも今日映画を見に行くように導かれたことに驚いたが、「やはり!」とも思った。
何という奇跡のような巡り合わせだろう。
人生とは本当に不思議だが、こんな風にできているんだなとも思う。
映画の中で、イブライムも「音楽がなかったら生きていない」と言っていた。
彼はかつて、人生の途中で音楽がいやになり、あきらめてやめてしまった。
私も音楽がきらいになりそうになり、あきらめてしまい、しばらく歌えなかった。
でも救ってくれたのも音楽だ。
だからすごくわかるんだ。
イブライム、ありがとう。
映画に関わったすべての人に感謝します、ありがとう。