要はエネルギー変換ですよね。
すべてがエネルギーなので。
エネルギーとは物理的な意味ではなく、比喩です。
自分の身体の中は、実は電気で情報が伝達されているという事をふと思い出したりすると、ホッとして力が抜けますね。
こういうことを普段意識しないでいると、自分とは男性または女性であり、〇〇国人であり、〇〇という仕事についている、などという社会における特徴、本質ではなく後付けされた形容詞で自分を捉えていることになってしまいます。
力を抜く事がすべての芸事や何かを成す事の極意だと思います。
楽器は力が入っていると音が出ないですから。
ミュージシャンで良い音を出している人はみんなうまく力が抜けています。
だからなかなか力を抜けないときには、そういう事を思い出してみる。
力を抜こうとすると、かえって力が入ってしまったりします。
だから力を抜こうとせずに、上記のようなことをふと考えてみるのです。そうすると結果、力が抜ける。
力を抜こうとするのではなく、「あ、いま力がはいっちゃってるな」と気づくだけで良いわけです。
他には地球は太陽の周りをぐるんぐるん回っていることや、そのむこうには気が遠くなるくらい広大な銀河系があって、さらにその銀河系が気が遠くなるくらいたくさんあって、さらに、、、と考えて行くと、現代社会の仕組みがいかに宇宙の真実とズレているかがわかる。
なーんだ!と。
それでも力が抜けるきっかけになると思います。
力が抜けた状態というのは、ダラーンとするということではないです。
筋肉をダラーンとさせることではないです。
よく運動の先生が、「はい、みんなー!身体の力を抜いてー!」と言って脱力を促したりしますが、そう言われると生徒たちは、目を虚ろにし、体をぐらぐらブルブルさせて、軸も何もないような状態をとっていることが多いと思います。
生徒たちも、これでいいのかな?と内心みんな思っています。
先生はそんな生徒たちの姿を見てもだいたいスルーです。
しかし、ダラーンとすると支えがなくなります。
「力は抜けているが支えはある」と言う状態は、「自分の中心をしっかりと意識している」という状態を指しています。
結果、「力が抜けた状態」になるのです。
物理的に体を振ることでも力は抜けますが、そのことに意識がいってしまうと、意識の置き場所が中心に行っているかどうかを捉え損ないます。





