生まれ故郷の横浜で、親戚が集まりました。

 

小さい頃は頻繁に行き来していた伯母が、お盆にホームで亡くなったので

 

改めて弔問に行ったのです。

 

銀杏の葉

 

高校生になった頃から、その家へ行くことがなかったので、

 

それはもう数十年ぶりに、よく覚えている路地を入り、

 

これまたよく覚えている、けれど今ではなんとなく小さく見える門構えを目にした時、

 

感動とも郷愁ともつかぬものを覚えました。

 

もみじ。

 

迎えてくれた3人のいとこたちは、ずっと年が離れていて、

 

当時からすでに大人だった、お兄さんとお姉さん。

 

今では孫が何人もいる、久しぶりに会うその人たちを前にして、

 

心がひゅう~っと遠い昔に帰って行くのを感じるのです。

 

 

秋秋

 

あの、小さかった頃と今の私は本当は何も変わっていないのに、

 

それを包んでいるこの肉体と環境がどんどん変わって行く。

 

姉も弟も母も、それからいとこたちも、肉体を脱いだらあの時のままなのに、

 

「時」だけがすべてを変容させていくんだ。

 

 

コスモス 

 

その思いは、親戚の家を出て、ついでに昔自分たちが住んでいた家のあたりへ行ってみた時、もっと強くなりました。

 

 

 

田んぼのあったところには家が建ち、畑もつぶされて人が住んでいましたが、

 

道と川と橋は変わっておらず、幼い私たちが写真に写っている坂もありました。

 

それを見た時、一瞬でその時間に帰って行く、私の中の「小さい私」がいるのです。

 

 

kaki☆☆

 

 

思いがけず、それを母やきょうだいたちと共有できて、

 

とても幸せな気持ちになりました。

 

 

kosumosu☆☆

 

何よりも幸せに感じたのは、今、自分たちが幸せだということです。

 

あの頃の自分に報告しても、何ら恥じることのない「今」があり、健康で、不足がない(ほしいものはいっぱいあるけど)。

 

それを思い、黙って幸せを胸に抱き、笑いながら帰って来ました。

 

 

キンモクセイの花キンモクセイの花キンモクセイの花

 

人生は、秀吉の言うように「夢のまた夢」なのかもしれません。

 

 

すべてを知っているかのような青空です。