10月20日(木)、外交部会・外交・経済連携本部・領土に関する特命委員会合同会議が開催された。議題は、北方領土問題の概況について。

 

まず、事実を確認したい。

 

1855年、日本とロシアは、日魯通好条約によって、択捉島とウルップ島の間の国境を平和的・友好的に確認した。つまり、国後島、択捉島、色丹島、歯舞諸島は日本に帰属している旨、日露両国が確認したということである。

 

1875年、日本は、樺太千島交換条約により、「千島列島」をロシアから譲り受けた。なお、「千島列島」とは、シュムシュ島(千島列島最北の島)からウルップ島までの18島である。

 

1945年8月18日、旧ソ連は、千島列島への攻撃を開始。9月5日までに北方領土を占領。

 

1951年、サンフランシスコ平和条約によって、日本は「千島列島」を放棄。再確認になるが、千島列島とは、ウルップ島以北、シュムシュ島以南の18島のことである。

 

1956年、日ソ共同宣言において、平和条約締結交渉の継続と平和条約締結後に歯舞・色丹が引き渡されることを規定。

 

1993年、日本とロシアは、東京宣言を採択。日ロ両国は、北方領土である4島の名前を列挙する形で、帰属の問題の存在を明記した。

 

以上が、北方領土に係る主な事実関係である。

 

ちなみに、ロシア側は、第2次世界大戦の結果、四島はロシアの領土の一部となり、これは国際法によって確認されていると主張している。

 

しかしながら、平和条約締結交渉は継続中であり、日露間で第2次世界大戦の「結果」は確定していない。更に、ロシアが国際法としている「ヤルタ協定」は、当事国でない日本を拘束するものではない。

 

さて、日露首脳会談の日が迫っていることもあり、北方領土に関する議論が散見されるようになった。

 

佐藤は、本日の議論の中でも言及したのだが、北方領土問題を議論する際には軍事的観点も重要である。

 

例えば、国後島と択捉島には水深400mを超える「国後水道」があり、ロシア海軍の太平洋艦隊にとって、オホーツク海から太平洋に出るための交通の要衝となっている。果たして、ロシアが簡単に手放すであろうか。

 

この他にも、興味深い事実がある。

 

周知のとおり、警察は治安を守る存在であるのに対し、軍隊は主権と独立を守る存在である。現状、ロシアは、国後島と択捉島に軍隊を配置している。しかし、色丹島と歯舞諸島には、軍隊を配置していないのだ。色丹島に国境警備隊を配しているに過ぎない。

 

北方領土問題に係る日露交渉が、今後どのような展開を見せるのかは分からない。しかし、両国が、歴史的事実を踏まえつつ、外交交渉を経て、平和的に前進することを切に望みたい。佐藤も出来る限りのことをしていく。

 

 

佐藤学校仮入校