今日は、北恵庭駐屯地で行われた第1戦車群及び第101戦車直接支援隊の隊旗返還式に参加させて頂きました。


なごり雪とも思える雪が舞う中、Time to Say Goodbyeの音楽合わせた部隊長から総監への隊旗返還と、坂の上の雲のテーマ曲 Stand Aloneの演奏される中での部隊退場は胸に迫るものがありました。

第101戦車直接支援隊長久保二等陸佐から北部方面総監へ隊旗返還


各中隊長から石橋第1戦車群長へ隊旗返還


石橋第1戦車群長から北部方面総監へ隊旗返還


佐藤も来賓挨拶の中で、気持ちを込めて、以下のように挨拶しました。

「隊旗の返還を目の当たりにし、正直、悲しく残念な気持ちで一杯です。これまで第1戦車群及び第101戦車直接支援隊が、北部方面隊の戦車火力の骨幹部隊として、この恵庭の地で、冷戦時代を通じ、夏も冬も、厳しい訓練や整備を重ね、北海道を、そしてl日本を守ってきたことに思いを致すと、万感胸に迫るものがあります。どれだけ多くの先輩の方々が、埃や油にまみれながら、演習場の大地に汗や涙を流してきたか、そう思うと胸が熱くなります。

国防は国家百年の計と言います。一朝一夕では、抑止力となりうる強靭な防衛力は作られません。この62年間、あの冬の雪中、凍てつく寒さの中、或いは夏の暑く埃舞う中、整備をし、機動し、射撃してきた第1戦車群の隊員一人一人の汗、我慢が、抑止力でした。今、安全保障環境が変わったとは言え、敵が攻めてきた時、それを跳ね返す力、ガッとつかむ力、その骨幹が戦車部隊であることには変わりありません。機甲科隊員として、或いは武器科隊員として誇りを持っていただきたいと思います。

力なき外交は無力です。国民も領土も主権も守ることはできません。極東の反対側のウクライナ、クリミヤ半島では、欧米対ロシアの力の衝突が展開されており、特にロシアの力を背景としたクリミア半島の実質的支配化の動きは冷戦時代を彷彿とさせます。ロシア北部のバルト海と南の黒海、地中海とはボルガ川や運河で結ばれており、内陸のボルガ川には、軍艦や潜水艦の造船所もあります。クリミア半島はまさに黒海への出口を抑える要衝であり、ロシアにとってはクリミア半島が欧米のコントロール化に入ることは地政学的、軍事的に死活問題です。極東も同じです。ロシアの太平洋艦隊がオホーツク海や太平洋に出るためには、宗谷海峡や津軽海峡を通過しなければなりません。北海道の地政学的価値は変わりません。極東ロシア軍の近代化や極東への強襲揚陸艦配備の動きもあります。

その意味で、陸自北部方面隊は、今後とも強くなければいけませんし、陸上戦力の骨幹たる戦車部隊への期待も変わりません。4月から始まる新しい防衛計画の大綱では、本州や四国からは戦車部隊は無くなり、機動戦闘車部隊に変わりますが、北海道には戦車は残ります。
第1戦車群は、今般の改変で無くなりますが、部隊の伝統は残りますし 、先輩から受け継いだ技量は、師団の戦車部隊や機動戦闘車の部隊に受け継がれます。故に発展的解編です。

繰り返します。国防は国家百年の計です。戦車部隊の技量と整備、研究開発能力は絶対に伝承しなければなりません。自衛隊出身の議員として、政治の場でも訴えてまいります。

これまで、部隊の改編業務に昼夜を問わずあたってきた体制移行準備隊の皆さん、そして輝かしい伝統ある第1戦車群最後の群長としてそれを指揮統率して来られた石橋一等陸佐の労苦や思い、そして隊員みなさんの汗や涙、そし並々ならぬ思いに心から敬意を表します。

部隊は無くなっても、伝統は永遠に継承されます。隊員の皆さんは、第1戦車群の隊員であったこと、第101戦車直接支援隊の隊員であったことの誇りを胸に、これからも活躍されること確信しております。新たな部隊での任務完遂、祈念いたします。」


これは発展的解編した第1戦車群の祈念メダル。隊員の思いが込められています。

今後、新たな体制変換への産みの苦しみとはいえ、本州や四国で隊旗返還式が続きます。
政治家として大いなる責任の重さを改めて痛感しました。守るべきものを守り抜く為に、佐藤正久も汗をかいて参ります。






佐藤学校仮入校

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