本はなるべく鹿沼で買おうとしている。

けど年に何回かは宇都宮の大きな書店を巡ることにしている。

本との偶然の出会いを求めるからだ。

ちなみにアマゾンで買うのは中古のゲーム攻略本くらいだ。

 

宇都宮の書店で物色はするけど買うことはない。

興味があった本をメモして帰るだけだ。

その後市内の書店で運命の再会をするか、

どうしても心が惹かれれば注文をするか、

それっきりかだ。

 

気になる書名を店内で手帳に書き留めること、

スマホのカメラで撮ること、

手間と良識の点で難しい。

 

スマホのメモアプリにさりげなく片手で入力する。

それすらギリギリだ。

充分あやしいと思う。

 

何しろ基本買わないのだから。

 

買いたい、

ここじゃ買えない、

記録しときたい、

どうせそんなに買えない、

買っても読みきれない、

読んでる場合じゃない、

今年選挙じゃないか、

普段の選挙運動だってやれてない、

でも議会での質問のためなんだ、

それこそ議員の本分なんだ。

 

そんな葛藤と闘いながらの本選び。

出来上がったリストを見てほしい。

自分の興味の対象を知ってもらうのも業務の一環だ。

 

2019/04/27

大前研一世界の潮流

栃木の絶景

プロのeスポーツプレーヤーになる

彼女が大工になった理由

パピヨン

ドイツ職人紀行

熱狂のソムリエを追え

わが子を「居心地の悪い場所」に送り出せ

日本を殺すのは誰よ

文系バカが日本をダメにする

日本人の知らないスパイ活動の全貌

反日という病

世界一やさしい心理操作テクニック図鑑

ニックス

1979年の奇跡

名探偵コナンと平成

絆経営で目指す新しい地方創生

英語化は愚民化※

ゲームの企画書

プログラミング教育はいらない※

大量廃棄社会※

アンダークラス

PTA不要論※

ホロコースト

日本の地方政府※

観光亡国論※

給食の歴史※

縮小都市の挑戦※

学校の当たり前をやめた※

KGBスパイ式記憶術

天才を殺す凡人

実践インフラビジネス

図書館巡礼

YouTubeの時代

(※は注文済み)

 

どうだろう。

個人的な興味で欲しい本もある。

基本は政策や提案に活かせる可能性を刺激する本が多い。

この中から運命の再会がどれだけあるかは自分次第だ。

 

そしてここまで店内で好き勝手にやっておいて、

何も買わないのも人間としてどうだろう。

だから最後には何かしら一冊は買って帰る。

雑誌を立ち読みだけして何も買わないで立ち去る行い。

それよりは罪が軽いだろう。

 

 

 

「名探偵コナンと平成」

以前に「文学としてのドラゴンクエスト」を紹介した。

同じ著者だったとは。

読み終えてから著者の経歴を見て知った。

先入観を持たずに意見に耳を傾けたい。

著者の名前や経歴などはあえて見ないで本を選ぶ。

もちろん著者で選ぶ本もある。

「さやわか」氏をネットで調べてチョットがっかりした。

「スロウハイツの神様」の作者辻村深月氏、

性別も含めてどんな人かを後で知った時と、

ちょうど逆の気持ちだ。

 

そしてようやくにして、

「平成最後の本がこれでいいのか」へと収束していく。

 

以前ブログで「名探偵マコヤン」とか言っていた。

しかもさやわか氏は先述のドラクエ本を書いた人だし、

1974生まれの同級生。

因果や運命の法則を見出そうとしがちな自分には

相応しい本かもしれない。

 

けれども、ついでに買った本じゃなく、

自分で納得のできる平成最後の本を探しに、

鹿沼のツタヤ書店に行った。

 

どんな本がいいだろうか。

たとえば「左翼老人」とか「日本共産党の正体」。

自分の政治スタンス上、

しっかり読んで政治哲学を確立するには必読だ。

けれど時は正に時代の節目。

正義や真実がどこにあるのか、

白黒つけることを今は休もう。

対立や論争を今は忘れる本にしよう。

 

小説はどうだろう。

爽やかで希望に満ちた本はたくさんあるだろう。

でもそれはダメだ。

 

自分の選挙が終わるまでは、

仕事に関わりのない楽しみを目的に読む本は、

この前読んだ「ベルリンは晴れているか」を最後にするという約束。

その後本当に「パリが燃えてしまった」ことは残念な偶然。

 

課題図書の選定基準はこれだけではない。

 

小説がダメなら必然としてビジネスや政治経済に絞られる。

紹介するならばまず読了し精読も必要だ。

自分も何か言わなければならない。

だから分厚い本は厳しい。

となると新書だ。

あの縦長の薄いやつだけど、

なんで新書っていうんだろ。

 

ならば青山繁晴氏の著作でまだ読んでないのがあったはず。

しかし売っていなかった。

 

実用やサブカル系の棚も念の為目を通した。

魅かれるものはなくその手の類いは節目を飾るには軽い。

コナンのがまだマシとなってしまう。

 

「君たちはどう生きるか」はどうだろう。

この時期に相応しいが、君たちはどう思うか。

一度読んだ本では芸がないだろう。

 

こうなったら原則を破ってフィクションでもいいのか。

平成が終わる今振り返ると、

自分はいつも「こうあるべき」にこだわりすぎていた。

その結果として自分も周りも不幸にしてきた。

こだわりを捨てることで、

今手元にある本や、図書館の本や、ブックオフの中古でも選択肢になり得る。

 

伝説の雀士桜井章一氏の著書『「自然体」が一番強い』の中で、

「そうであったらいいな」くらいの気持ちでいる方がいいと書いていた。

その意味がようやく心で実感できる。

経験の中で失敗しながらでしか自分は学べない。

新しい令和の御世もきっとそうやって生きていくのだ。

 

ちなみにこの本は佐藤市長にオススメしたい。

桜井氏と平野早矢香氏とのくだりは是非読んで欲しい。

もしかしたら既に読んでいるのではないかとさえ思える節がある。

短いエッセイ形式なので忙しい合間の息抜きとしても読みやすい。

もし未読ならば必ず「我が意を得たり」となるだろう。

 

自分もたまに人様から本を勧めていただくことがある。

同僚議員の鈴木毅氏が貸してくれた『「痛い目」に遭いながら人生を学べ』(奥島孝康著)

数年間棚に置きっぱなしだけど、そろそろ読むべき星が巡ってきたのだろう。

とはいえ小説やフィクションを選び始めたらもうそれこそ決められない。

当初よりの「ためになる本」という原則は貫こう。

こうやって時間ばかり過ぎていく。

この間に本読めたじゃないかっていつも後悔して焦る。

いつものお約束。

 

読んだことがなく、過激でもなく、小説でも実用書でもなく、分厚くないタメになる本。

色々あったけどその本であるべき理由が閃いた一冊が決まった。

 

image

 

新書でタイトルも未来を感じさせるし、

帯に小泉進次郎氏の名前も載っている。

ベストセラーの棚に陳列もされている。

これだけでも資格十分。

 

本書は2018年7月の小泉進次郎氏と落合陽一の共同企画「平成最後の夏期講習」が基となっている。

6つのテーマ毎に陽一氏が日本社会への提言をしている。

 

選んだ一番の理由は落合陽一氏が落合信彦氏のジュニアであること。

アサヒスーパードライのCMで、国際ジャーナリストという肩書きで登場した落合信彦氏を初めて知った。

初めて読んだ同氏の著作は「狼たちへの伝言」

自分が18歳、平成5年に市役所の前の柳田書店にて出会った。

値段は100円だった。

孤独で誇り高く、強く優しく熱い狼の人生に多くの若者が憧れた。

感化された中の一人が自分だ。

その後の平成を生きる自分のテーマであり続けた。

 

そして平成が終わろうとする今、

そのジュニアが未来を語る本を読む巡り合わせ。

悪くはないだろう。

 

この本が私に示す意味が他に何があるだろうか。

 

陽一氏は1987年(昭和62年)生まれの31歳。

片や私は1974年(昭和49年)生まれの44歳。

若くして既に社会に対しての鋭い提言をしている陽一氏への敬意。

未だ鹿沼市の政治の大きな方向性を決定づけるだけの力を持ち合わせていない自分への焦り。

 

また若者の意見にも耳を傾けられる大人でありたいなという自戒。

長老と言われる世代の「人の話を聞かない」態度への反発もある。

 

本書が提示する新しい概念「ポリテック」。

政治(Politics)とテクノロジー(Technology)を組み合わせた造語。

政治や行政に取り入れていくことの可能性を信じ、

地方自治体レベルでも導入への提言をせねばという使命感。

 

テクノロジーを恐れることなく、

そこに希望を見出していくためにも、

自らも学び、

活用に秀でたこれからの若者の力を侮ることもなく、

疎外することがあってもならない。

 

鹿沼という地方都市こそ若者から疎外されてしまわないために。

 

本書を選んだ理由と簡単な紹介、そして少しだけ今までの自分の話をした。

 

本書の終盤では、

アップルの共同設立者のひとりスティーブ・ウォズニアック氏が日本が抱えるある問題の解決策を信彦氏に問われこう答えている。

 

「そんなの簡単だ。若者を自由にすればいい」

 

自分は考え方も生き方も振る舞いも自由であると思う。

それはよいことであり、悪いことでもある。

可能性も危険性も自覚するものである。

そしてその代償としていつも孤独がついて回る。

しかしこう考えたらどうだろうか。

その人が運命として備わった性として孤独である。

それが始まりならば、

その慰みの報酬として「自由」がもたらされているのだ。

それなら決して悪い話ではない。

 

自由であることが原因なのか結果なのか。

自ら求めたものなのか、運命として与えられたものなのか。

どちらにしたって、

自由であるから見えること、言えること、出来ること、

そしてそうしなければならない使命を、

新しい時代でも果たしていきたいなと思う。

 

平成の最後の8年間をこうして活動することができた。

それをもたらした全てのものに感謝して平成最後の告白を終えます。

 

加速せよ未来へ。