2015年10月第一週にソウルから帰った翌週は・・・

 

沖縄の大綱挽を見に行くために、沖縄へ行ってました。今日もその続きです。ニヤニヤ

 

むつみ橋のかどやさんで、沖縄そばを食べた後は、大綱挽の会場である久茂地交差点に向かいますアセアセアセアセ

 

 

 そもそも、那覇大綱挽とは・・・

 

沖縄県内には綱引きによってその年の吉凶を占うという風習が各地に残るが、那覇の綱挽は1600年代から行われていたとされる。
17世紀、那覇が首里の外港としての地位を確立すると、西村、東村、若狭町村、泉崎村の「那覇四町」が成立した。そうした中、四町が東西に分かれてみーんな(女綱)とをぅーんな(男綱)をかぬち棒でつなぎ、東西に分かれて綱を引き合うという「那覇四町大綱」(ナーファユマチウーンナ)が定着したとみられる。その後、那覇の発展とともに周辺の村々も加わるようになって琉球王国の国家的催事となり、1812年には「那覇綱挽規模帳」が作成されてルールが明確化。祝賀行事としてだけでなく、薩摩藩や清からの使節の歓迎行事としても行われるようになった。
明治期以降も不定期に開かれていたが、戦時色が強まる中で1935年の開催を最後に途絶えた。
沖縄の本土復帰の前年1971年、那覇市の平良良松市長が市制50周年記念事業として10月10日に復活させた。戦後の合併で那覇市の一部となった首里、小禄、真和志も加わって東七町、西七町での対戦となり、市を挙げての一大イベントとなって現在に至っている。

 

難しく書いてありますが、国道58号の久茂地交差点で行われる。東西に分かれた綱引き大会&ギネス認定と思ってくださいニヤニヤOK

開催時には、交差点付近の中央分離帯のブロックが取り外される。(中央分離帯が取り外し可能になっている場所は、全国の国道でここだけ)

 

↓はい、これ~★ ほんとに中央分離帯を取り外してるよ~(2009年に目撃)

 

 

最後の一個取り外した~

 

 

 

その後は、国道に大綱挽を敷き詰め~

 

めっちゃ長いですよ~(ギネス認定:全長200m)

 

東と西の同じくらいの綱を、かぬち棒でつなぎ

 

 

↓これ、かぬち棒

 

 

 

また、綱挽が始まる前に、色々な行事があり、支度(したく。歴史上の人物に扮して見得を切り、東西の士気を高める)なども見逃せません。

 

 

そして、くす玉が割られたら綱を挽き合います!

 

この大きい綱から出ている枝みたいな綱を引きあいます。(2013年に実際に引いた時の周りの様子)

 

 

周りは観光客や地元の人を初め、米軍の方もいっぱいいらっしゃるため、ガタイのデカイ米軍兵に囲まれて、潰されて死ぬかと思いましたよゲローガーン

 

今年は15分の熱戦の末、東の勝利です。

 

 

勝った、東側の方から綱を頂いて帰り・・・

 

 

神棚に飾ったりして、ご利益を授かります。

 

車に乗せて、安全祈願にする人も。

 

この年も、とても楽しいお祭りでしたデレデレ