今年はもも少なくて、2月の初めには20℃近くまでになり、春の匂いが風に乗ってやってきてた気がしたのに、中旬から温度がまた下がり、いいころ加減のが降りました。

「このくらいの雪(午後には消えてなくなる)がいいね。」
とサトレラパパと話していたと思ったら!
ついに
 積雪20cm位かな?
でも、幸いなるかな・・パウダースノウでさらさらなので、歩く時も、雪を蹴散らして歩けるので楽です

文字通り【犬は喜び庭かけまわる】の図



日本で2月16日から始まる私の大好きなヒュー・ジャックマン主演の
”The Greatest Showman”
アメリカでは、去年から上映されていて2回も観に行ってしまいました。久々にエンターテイメントと言う印象の映画を観た感じです。その中に、このブログのタイトル ”This is me”と言う曲があります。アメリカでは、この映画のサントラが人気があり特にこの歌はラジオでもよく流れるんです。外見の事を他人になんと言われても、思われても『これが自分なんだ!』と言う歌詞です。

と、言っても今日はその映画の話じゃないんですけど。
実は私、学生時代の頃から何らかの場面で
「私は非社交的じゃないはずのに、なんで沢山の人たちが騒いでいる所が苦手なんだろう。」
「予定が突然変わったり、やらなくちゃいけないことが突然に増えるとなんで私はストレスを感じるんだろう。」
「お店の人に聞けば早いのに、なんで自分で探そうとするんだろう」
「なんで、太陽がすごくまぶしく感じるんだろう。」
「人が好きだし一緒にいて楽しいのだけどその日の終わりには一人でボ~っとしないといけないと感じるのはなんでだろう」
「お腹がすくと私は不機嫌になるって友人が言うけどなんでそうなんだろうか」
などなど、自分自身に疑問を持ってましたが、これを読んでる方にも上記の事思い当たるのありませんか?

オレゴンに来てからも、私より後に起きてくるサトレラパパにいきなり、部屋の電気をつけらるとまぶしく、ガ~ンと頭を叩かれたような感じがするので、よく文句を言ってました。
そう言えば、日本でも夜に車に乗るのがあまり好きでなかったことを思い出しました。何故かと言うと反対車線の車のヘッドライトが目にまぶしくて道がよく見えなくなるからです。

そんなある日、Facebookに友人の一人がある記事を載せていて、
「みんなにも思い当たることがあるんじゃないかな?」
と書いてあったので、私も興味半分にそれを読んでたら・・・
まさに、私の事じゃないの?と思ったんです。

「ハイリー・センシティブ・パーソン」Highly Sensitive Person (HSP)又はSensory processing sensitivity (SPS)
聞いたことありますか?
これって、別にきれい好きとか気難しいとかそう言う意味ではないのです。自分の周囲の微妙な動きに敏感な人の事です。つまりは感受性が強すぎるってことです。

それまで、聞いたことがなかったのだけど、これを研究している心理学者、エレイン・アーロンが作った言葉らしいです。それも1996年と言うから意外と新しい分野かも・・。アーロン博士が作ったチェックリストを試しにやったら、
おめでとう!
しっかり私はHSPでした。
そこで、ネットでも色々調べました。
自分が疑問に思ったことが明らかになって逆に気持ちが楽になったのは事実です。

Facebook やMixiのようなSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のネガティブな投稿や悲しい投稿が発するエネルギーに敏感に反応して、胸が痛くなることも、心が沈むことがよくあるのは、自分の気分が乗らないからかではなく、それもHSPの特性だと言う事です。
つまり、相手の気持ちが伝わってきちゃうんですね。で、自分ではどうにもしてあげられないのはわかっていても、どうにかその気持ちを和らげてあげたい!って思っても相手にその気持ちが通じなくて勝手に落ち込んでたり。
HSPは、生得的(先天的なもの)だろうと言う研究成果が出ているようで、人口の20%、性別関係なくいるそうです。

上記したものが、自分にも多分に当てはまってると思った方の為に、以下Wikipediaに書いてあったのを抜粋してみました。

特徴には大きな音、眩しい光・蛍光灯、強い匂いのような刺激に対して敏感
物事に対して容易に驚き、短い時間にたくさんのことを成し遂げるよう要求されると混乱する


生まれつきなシャイさ、恐怖症、社交不安障害、社会的抑制、社会恐怖症、あるいは内向性などとは又違う性質だそうです。
かつて、友人の一人が「自分は内向性」と言ってその特徴を掲げてたのをFBで読んだことがあり、私もそうかと思ったりしました。でも、何故か納得いかない特徴もあって、だったのが解決した気がします。

感受性はしばしば上記のような他の類似した性質の起源である場合もあるけれど、より基礎的で生得的な性向である、ということです。
HSPの属性(共通して備わっている物)は、「DOES」という頭文字で覚えることができる。

処理の深さ(Depth of processing)
(他の人と比較して容易に起きる)過度な興奮(Over aroused)
感情的反応性・高度な共感性(Emotional reactivity and high empathy)
些細な刺激に対する感受性(Sensitivity to subtle stimuli)


自分が意識するしないにかかわらず、人のジェスチャー、目の動き等々にも敏感に反応してしまうんですよね。
それが、結構自分の為にならないことはわかっていても、反応してしまうスイッチは消せない。
日本でOLで働いていた時は、知らずのうちにこれが役立つような仕事だったとも思えますが・・・。

HSPのサイトにありました。
「近しい友人にはそれを話すのがいいでしょう」
って。これが生まれつきのものであるのなら、「これが私です。」と言うのはお互いのコミュニケーションを取るのにも確かに誤解が減る結果になっていいかもしれないですよね。

サトレラパパは、去年出版した『The Unbound Soul』の本にも書いてありますが、発達障害の中の『学習障害』です。これは、知能指数と関係なく、(逆に他の人より高い場合もあるようです)思考が普通の人と違うんです。
私はこれを知って、理解するまでにかなり試行錯誤しました。今も、してます。
でも、相手がそうであると知っているか知らないかで相手を理解出来る度合いが違ってくると思います。

HSPの場合は、自分が自覚をすることで、かなり上手くそれとつきあっていくことが出来るようになると自分自身そう思います。つまり、チェック項目が減っていきます。サトレラパパは子供の頃、学習障害プラス私以上のHSPだったそうですが、今は私よりチェック項目が俄然少ないです。

皆さんの中にも、自分はどうしてこうなんだろう!って考えることがある方は、HSPの度合いをチェックするサイトなんかもありますから、やってみるといいと思います。
自分を知ることは、自分自身が楽になることであり、相手を理解しようとする事にもつながっていきますから。

今日は真面目な話になったので最後は、うちのカスティエルの元気な姿をご覧ください。

写真をクリックして下さい。


例年だと、この頃には数回は雪が降ってるはずなのに今年は全然でした。
Facebookで日本の友人たちが大雪の東京埼玉神奈川あたりの写真を載せてるのを見て、羨ましいと思っていたところ、それより数日遅れて遂にここにも雪がやってきました。
雪でも元気にボール遊びのターニャ
生まれて初めての雪。まずは味見から
去年みたいなドカ雪は欲しくなかったけどちょうどいい量・・。午後には、かなり溶けてくれました
いや、でも、サトレラパパに言わせればもっと降らなくちゃいけないと言う事だけど・・。
確かに、例年11月くらいにはこの季節だけに出来る小川が敷地内を走るはずだけど去年は結局全然駄目で今月に入ってやっと水が流れ出しました。
去年よりは、寒くないような気もするけれど、それでも1月なのでね・・。それなりに寒いのですが、ボール遊びの途中でターニャは水浴び?です。見てる方は武者震いをしたくなります。



2017年最後のブログは、これ!と思ってたのに想定外に慌ただしく結局書けませんでした。

実は、ペーハに2回目!再会
カンガルドッグのカレンダーを渡しに行ったのだけど、ペーハは数週間前に生まれた子山羊🐐の面倒を看るので忙しいから会えないかもしれないとペーハのオーナー、アーン言われてたので期待はしてませんでした。
でも、私たちがアーンと話していたら牧場で寝ていたペーハがこっちに気づいてくれた。
私は着いた時から入り口から離れたところで横になってた彼に気づいてはいたのだけど、アーンの手前大声で呼ぶのも憚られ黙ってました。だから、ペーハが気づいて小走りにこっちに向かって歩いて来た時はとっても嬉しかった。
囲いのそばにいたサトレラパパに挨拶をしてから、私の所へ挨拶に来たのだけど、頼んでもいないのにゴロンと横になってお腹を見せて歓迎してくれてとても感激こっちは、しっかりと久々のハグをしたかったのにゴロンゴロンしちゃって・・・
そんなペーハを見てアーンが
「私にはそう言うペット的な姿は見せない。私も彼をペットとして扱ってないからね。」
って、言ってました。そうですよね。彼は、ペットが欲しくてペーハの里親になってくれたわけじゃないのだもの。
最近、日本でペットに対して使われる『里親』とはちょっと意味が違って、本来の『里親』。つまり、自分の所で引き取って面倒をみるけれど、「親権を持たず養育する」
私は、ペーハはもう私たちの手元を離れたと思ってはいるのだけど、アーンは
「(ペーハを)自分の犬だと思ってない。だからいつでも会いに来てもいいし、連れて帰ってもいいんだよ。」
と言うんです。
最初にそれを聞いたとき、内心嬉しい!と思ったけど、よく考えれば、
「自分の犬じゃないってそれは距離を置いてるって事だよね。それって、いいことなの?」
と疑問もわいてきて・・・

ペーハは一通り挨拶と歓迎の意思表示をしてくれた後は、ちゃんと山羊の元へ戻って仕事に復帰してました。うちにいた頃のように、お気楽ペーハではなくなっているのは事実です。

しばらく歓談をして、帰る前にアーンに言ってみました。
「(うちの)隣りの意地悪な女性がいる限りはペーハを連れ帰ることは出来ないけれど、もうペーハが護畜犬として使えなくなったら連れて帰ることは出来るかも。」って。
そしたら、彼は言ってました。
「護畜犬に引退はないよ。つい数日前に亡くなったうちの子も耳も足もおぼつかなくなってもずっと山羊のそばにいて、何かあると感じると、立ち上がって辺りを見回してた。」
「ボーイ(彼がペーハをそう呼んでいる)は、原っぱで横になっていても必ず山の方向を見ている」
「この間、夜にコヨーテがうちで死んだ山羊の遺骸を食べにこの土地へ入って来た時、ペーハが追い出し、1頭のコヨーテを殺したんだ。」
「朝起きたら、ペーハがコヨーテの亡骸を背中にしょって、歩いてたんだよ。」
どの話をする時も、アーンは誇らしそうで、嬉しそうでした。
そんな彼を見て思いました。
「私の為に、ペーハは自分の犬と思ってないと言い聞かせてるのかも。本当は、ペーハをとても可愛がってくれてるんだな」
って。
それまでは本気でペーハが年取ったら引き取ろうと思っていたんです。
でも、一生懸命ペーハの話をするアーンを見て、もうその考えを持つのはやめることにしました。

突然ですが・・・
2009年、数日だけ子猫を保護したことがあります。
当時は、賃貸の家にいたので勝手に飼う事も出来きず、新しい飼い主さんが見つかるまで情が移らないように「名無しの権兵衛」『権兵衛』と呼んでました。そしたら、旧友のヨウコちゃんが
「権兵衛じゃ可哀想よ。」と強く言うので、そんじゃぁ、って事で、その時韓国語を勉強していた私は、韓国語の『陛下』・・ペーハ・・と名付けました。その子は、我が家に来て3日目には新しい飼い主さんにもらわれていったのです。

なんで、急にそんな昔の話が?って思うでしょ?
実は、当時、その子猫を私に委ねた友人、リエちゃんに、ペーハを手放さなければいけなくなった話をしたら
「ペーハなんて名前を付けるからよ。だから、また縁がなくなっちゃったじゃない?」
と言われ、ハッとしたんです。
そうだよねぇ・・・でも、今回ペーハに「ペーハ」と名付けたのはサトレラパパなんだけどね。
子猫のペーハがうちにいた時、サトレラパパは海外旅行中で会えなかった。でも、私がペーハって名前をつけたと言ったらそれが気に入ったらしく、今度は犬にその名前をつけようって事になったわけだけど。
最初私は渋ったけど、サトレラパパが気に入ったって言うからそれでペーハになって、それっきりリエちゃんに言われるまでそんな事考えもしなかった。

そうだよねぇ。『ペーハ』って名前は私にとっては別れの名前だったんだ・・・。

でもね、この間会った時は、違うことを思いましたよ。
ペーハって名前は運の強い名前なんだ!って。
だって、どちらもすぐに新しい飼い主さんが見つかったじゃないね!
韓国語で”陛下”だもんね。

今年の11月にペーハは6歳になります。半分ペット半分護畜犬で育ったけれど、やはり働くカンガル犬の血筋は脈々と続いているんだと目の当たりに見た感じがしました。
ペーハいい人に引き取ってもらえてよかったね。


どんよりお天気の元旦を迎え、気づけばもう6日!
今年も駆け足で1年が過ぎて行きそうです。

アメリカにいるんだから郷に入っては郷に従えで、おせち料理なんか作らないでのんびりしてるのもいいのじゃないかと思うけれど、サトレラパパは日本のお正月が好きで、やっぱりバタバタしている我が家でした。
おせち料理を作るのもこんな田舎では日本食材を求めるのが結構一仕事です。
ここから車で飛ばして45分くらいのメドフォードにあるアジアンストアへ行ってみました。
それなりに、食材を買い求めましたが、日本語で書いてあるのに中国産のものが!
何故、中国語で書かないのか・・。やっぱり中国産だと売れない事がわかってるからかな。
アメリカでも中国産の物は危ない!って言われてるし、中国のお金持ちは自国の食べ物は買わないって言うじゃないね。でも、日本語で書かなくたっていいんじゃない?と思うのだけど。
まぁ、背に腹はかえられぬ。
お正月だけはチョイスがないので、中国産を入れてお節料理作りましたよ。
そうそう、日本からのはんぺんをそこのお店でみつけました。
なので、今回は伊達巻なんかを作ってみましたよ。甘さ控えめのホームメード。どうですか?
お重に詰めた感じはこんなです。にしんも鮭も手に入らなかったので、豚肉の利尻昆布巻き白ごま一杯のたたきごぼう、鶏を解凍するのを忘れたのでこれもまた豚肉の筑前煮、そして栗なしのきんとん伊達巻
そして、お雑煮・・。
そうそう今年は『なんちゃってお餅』じゃなくて、本物のお餅です。広島に住んでた時は、やかない丸餅だったけど私はやっぱり、焼いたお餅がいい。形は丸でも四角でもいいけれど・・・友人の大将にお餅をお願いしたら、日本から4kg近くもお餅を持ってきてくれました。サンフランシスコにはお餅も売ってるらしいけれどやっぱり日本からのお餅がいいだろう、と重いのを持ってきてくれました。焼き海苔のパッケージときなこのパッケージも一緒に。我が家の日本食材は、遊びに来てくれる友人たち、そして、思い立った時に突然、ガーン!と送ってくれる友人たちのおかげで存在してます。心から感謝!手前のお雑煮は、「白猫ニャオ」が送ってくれたおいしい『茅の舎』のお出しとにんじん、ほうれん草、鶏肉。実家のお雑煮は祖父の故郷、母の疎開先だった山口県の家で作ってたもので、本来は大根、人参、高野豆腐、を入れるのだけど大根は買えなくて、高野豆腐も売ってないでした。
デザートなんかも張り切って作っちゃいました。ココナッツのお菓子が食べたかったからなのですが、アメリカのレシピをそのまま鵜呑みにしてはいけません。甘いのが好きな場合はいいですが、それも限度って言うのもがあると思うのですよね。
当然、お砂糖の量は半分以下に減らしました。バターや卵は、ま、いいか、てそのままにしましたが。
アイシングをつけてますからね、お砂糖は控えめがいいです。アメリカのお菓子が甘いのがよく理解出来ます。

お雑煮を食べてたら、誰かがじーっと見つめてました。
年末は、うちで年越しそばを食べてから、隣りの両親の所へ行って、アメリカの『年越しTV番組』を観て・・・。
年始は、うちでお節とお雑煮を食べてから、隣りの両親の所へいって、ママスーザンの元旦恒例の、カリフォルニアのパサデナで催される”Rose Parade”のTVを観て・・・。
アメリカの年末年始は簡単だよなぁ・・・と思った次第です。
今年の年末はアメリカ式で簡単にやるか・・・と今からもう、そんなことを考えている私でした。
音楽を聴きながら踊りながらお節を作るママを(呆れて?)見ている2犬






2018年(平成30年)になりました。
年末に記事を書こうと思っていたのに、予想外に忙しくなって、とうとう年が明けてしまいました。
アメリカ人は元旦くらいしか休みを取らないので2日からサトレラパパは仕事です。


とりあえず、今日は新年のご挨拶を・・・・・

今は、一緒に暮らしてはいないけれど、このブログに頻繁に登場すると思うので、サトリとペーハも入れてみました。

今年も『気まぐれブログ』どうぞよろしくお願いします。

ずっとブログを読んで下さっている方はおわかりかと思いますが、うちは南オレゴンの田舎町の更に山の方にあります。
うちのドアを出てから郵便受けまで行くのに、歩いたら20分くらいかかるので、ほとんど外出するときにしか郵便をチェックしてません。
郵便局も、うちにはサインの必要なEMSのような郵便物は届けてくれずに、郵便受けに「日本から何か来てるよぉ~」と誰からとも何が来てるのかもわからないような簡単な通知が入ってるだけです。郵便局まではうちからで20分。
だから、これも町まで出る時に郵便局へ立ち寄る感じなので、通知を受けてから2,3日後に行くことになるのが多い気がします。時間がたつと、「後○日以内に取りに来ないと、送り主に返しちゃうよぉ~」の警告通知が再度入るからその前には行くようにしているのだけどね。

先週末に、「日本から何か来てるよぉ~」の通知が入ってたのだけど、なんだかんだと用事があったし、外出の予定もなかったのだけど、今日、取りに行きました。
友人が、いずれ何かを送ると先日メールに書いてあったので、その友人からかと思ったら、なんと思いもかけない日本の友人からの小包でした。
彼女の名前はYukoさん。1985年の科学万博の仕事に携わったことで知り合ったのだけど、関西に住んでいて、万博後はそんなに会うチャンスもないまま、年賀状のやりとりだけでした。
そうそう、立川にいる時に用事で上京した彼女と会いましたっけ。相変わらずのきれいな長い黒髪がよく似合う目鼻立ちのはっきりした美人さんのままでした。
こっちに来てから、年賀状は当然、出していないけれど、Facebookで繋がってます。

そのYukoさんからの小包は本当におもいがけないものでした。「きっと京都のおいしいものが入ってるんだ。」と妄想に胸を膨らませました。が、内容物には「フェルトの人形」と書いてあって、「????」の思いで家につくやいなや箱を開きました。更にブラスチックの入れ物に大事に入れられたもの。
わかりますか?ブラスチックの入れ物を開けた時、すぐにわかりました。
おかえり!サトリ!
サトリが永遠の眠りにつくのを見た時も、うちの聖地に埋めた時も私は泣かなかったのに、このサトリを見た時、不覚にも涙がどっと溢れてしまいました。鼻もつまってしまいました。
まさか、立体のサトリに又会えるとは夢にも思ってなかったし、Yukoさんがフェルトアートを習い始めて、サトリを作ってくれているなんて、これも夢にも思っていなかったし・・・。
サトリの人形と共に、彼女の達筆の手紙が入っていて、数年前から勉強を始め、猫を作った後、犬を作ろうと思った時、サトリの事を思い出してくれたそうです。彼女は残念ながら立川に来た時にもサトリには会っていません。今更ながら会ってもらえばよかったとつくづく思いました。でも、Facebookに私が投稿したサトリの写真を色々と見て、作ってくれたのです。
難しいのですね。今年の6月のサトリの1周忌に間に合うようにと考えてくれていたそうですが、出来上がらなかったみたいで・・・。
でも、素晴らしい、最高のクリスマスプレゼントになりました。 ちょっと見上げた仕草が生前のサトリを余計思い出させるので、胸がつまります。
頭のマークも目のところも細かく再現されていますよね。

サトリがいなくなってから、彼女はいつも私の心にいて、いつでもどこへでも一緒に行っていると感じていましたが、今長い旅から帰ってきてくれた気がします。
「人形じゃないか」と言われればまさにその通りだけれど、作ってくれた友人の思いがこれに命をふきこんでくれたのを感じます。
いずれ、入れ物を買って、その中に飾っておこうと思います。
彼女の注意点の中に、飼っている犬や猫にかじられたりする恐れもあるから・・・とありました。
うちでやりそうなのは、キャスです。
キャスが入らない部屋に置いておこうと思います。

今日は、郵便局の帰りに、橋にはなってなかったけど、すっごく大きくて太い虹をみたし、きっといい夢をみられるな!



先日はこの冬初めての-2℃になりました。

それなのに、このタイトル!
本当はもっと早くにアップするつもりだったんですけど・・・

今年の夏には、8月に小原大将が訪ねてくれ、9月末から10月初めにかけて、くりちゃんが来てくれました。
どちらも我が家には何度も来てくれているので、私たちも何も気を遣うことなくいつも通りの生活を送れる気のおけない友人たちです。
二人の友人たちが来てくれるのは、早くからわかっていたので、私は一つ、やりとげていない事にチャレンジすることに決めていました。
それは、去年、やむを得ない事情で、我が家を去って行ったペーハに会いに行くこと。敷地内のパトロールではいつも一緒だったペーハ
サトレラパパは、何回か新しいオーナーの家を訪ねてペーハには会っていましたが、私はどうしても会いに行けませんでした。会いに行こうと思うと、その瞬間の自分の姿が目の前に浮かぶんです。
別れなくちゃいけなかったあの時の胸の痛みと悔しさと、再会した喜びとにうろたえる自分が・・・。
私は、Facebook で、主に、シーザー・ミランの記事を翻訳して紹介しているグループページを作ってます。
「犬には穏やかで、だけど、自信のある態度で接する事」口をすっぱくして、言っているのにそれが出来ないだろう自分を想像出来たんです。
それに、去年は色々と悲しい事が他にもあって私は『壊れて』いましたし・・・。

でも、2017年は前向きに生きられなかった2016年の分も前に進んでいく年にしたかった。
だから、ペーハにはどうしても会わなくては!と思いました。
残念ながら、小原大将の来訪時は、まだ確固たる気持ちを持てそうもなかったのでやり過ごしました。

いつも9月初めに来るくりちゃんが今年は珍しく10月の初めに来るというのがラストチャンスだと思いました。
そう思うと、人の気持ちって不思議で、ペーハに会いに行きたい、と言う風に変わるんですよね。
サトレラパパに、「ペーハに会いに行った方がいい。」と何度も言われて、その言葉は私の気持ちを揺るがしたし、ママスーザンが自分の犬の、競技会でペーハを見かけて元気そうだったと言う話も聞いたし。でも、決断をするのは自分しかなくて、『覚悟』を決めるのも自分しかない。

くりちゃんもペーハに会いたいと言ってくれたので思い切って行って来ました。
私の友人も一緒と言うのが、余計、力強かったのかもしれない。
行く道々、車の中で外の景色を見ていました。その日は、気持ちのいい日でした。
途中曇ったりしましたが、その空もまた美しかった。

ペーハの新しい家は、パパゴードンとママスーザンの古い家へ行く途中で、のどかな牧場が広がる静かな所でした。
ペーハ以外のオーナーの犬たちは、皆 マレンマと言う、フランス原産の護畜犬たち。人懐こい
私は、「ペッパ!」の名前の連呼以外何も言えなかった。
でも、心は落ち着いてた・・・と思う。
  
ペーハは、さっき別れたばかりのように、1年半前のあの時と同じようにそばに来てくれて、あの時と同じように大きな体をすりよせて、大きな尻尾をバタバタ振ってくれた。

オーナーの話によれば、今でもペーハは柵を飛び越えて近所をパトロールして歩いているそうだけど、おかげで捕食者たちは近隣でみかけられなくなり、近所の人たちも喜んでいるって。

ペーハの事があって、一つわかったことがありました。
友人が自分の経験から言ってくれた言葉です。
”ある意味死に別れよりも生き別れの方が辛いかもね。”言われるまで考えた事もなかったけど、確かにそうだと思います。サトリがペーハがいなくなった数ヶ月後にこの世を去りましたが、悲しみと寂しさはペーハの時もサトリの時も同じだけど、「これからはサトリはいつも私と一緒にいてくれるんだ!」と思えたんですよね。
でも、生き別れは、その後はどうしているだろうか、っていつも考えてしまう。新しい飼い主に可愛がってもらえてるのか、先輩犬たちと上手くやっているのか、ちゃんとご飯を食べているのだろうかとか・・・。
そう思った時、フト、子供と生き別れになっている友人を思い出しました。犬のことでもこんなに切ないのに、それが我が子となったらどんなに辛いだろうって・・・。会おうと思えば会えるけれどそれが出来ない辛さは、ずっと続くんですものね。

ペーハもちょっと痩せて毛艶もうちにいた頃よりよくなかったような感じだったけれど、飼い主さんはペーハの仕事ぶりを褒めてくれてるし(外へパトロールへ行っちゃってもね)ペーハが来てくれて嬉しいとも言ってたし、話をしてるといい人だし・・。ペーハの仕事場
でも、やっぱりずっと心配していくんだろうな。
ペーハが生きている限り・・・。

今度は、もっと軽い気持ちで会いに行けると思う・・・。


アメリカでは毎年、11月の第4木曜日が感謝祭。🦃
今年は11月23日でした。日本は勤労感謝の日ですよね。

ワシントン州から、サトレラパパのお姉さん夫婦も来て、パパゴードン&ママスーザンの家に滞在です。
まだまだ、家の改造は終わってないのですが、とりあえずゲストルームにベッドが入ったので今年はお姉さん夫婦も両親の家に泊まれた、と言う事です。
去年から家の改造を始めているのに、未だに終わってないのは、さすがアメリカ!なのか、それともここの土地柄か・・
お兄さんと彼女も参加して総勢8名!
いつもなら、叔母さん一家も一緒に祝うのだけど、去年、叔母さんの孫のイーサンが亡くなってから、何か難しい状態になっていて、去年、我が家に集まった時も来なかったし・・。
間柄が近いから難しくなると余計ややこしくなると言うのも理解は出来るけれど、パパゴードンの体調もあまりかんばしくないのだから、色々な感情のことは置いておいて来ればよかったのに、と思っていたのは私だけだったのだろうか

とにかく、我がファミリーはどこの家庭でも起こり得る口喧嘩とかすることもあるが、基本仲良くやってます。
お姉さん夫婦に連れられて、オレゴン州とカリフォルニア州の境を出てすぐのところにある、お酒が安いと言われている小さなお店へ行って来ました。
これがうちがゲットしたもの。締めて約$100
いつも何かを買う時、『節約』の言葉が頭を巡る私にとって、「お酒類に$100」なんてまた思ってしまったが、お姉さん夫婦に
「普通の店でこれと同じ品物を買ったら倍になるわよ。」
と言われ、サトレラパパも
「来年一杯はもつよ。」
と言うから、「まぁ、お金稼いでる人が言うんだからいいか・・・。」
と言う事で購入しました。
我が家にいつも遊びに来てくれる大将が又、来てくれたら一緒に楽しめそうだし・・・。(再来年にはもうないかもしれないが・・。)

リードなしで初めて一緒にカメラに納まった日






私が英語を一生懸命に勉強するようになったのは、デビッド・キャシディーと言う歌手・俳優を知ったから・・。

若いころに俳優であった父親を後ろ盾(両親ともにアメリカの俳優だった)に持ち、芸能界入りをして、『パートリッジ・ファミリー』と言うTVドラマに出演して、その名を欲しいがままにしてきた。
しかし、若いころにショービジネスの世界に入るということは、よほど自分がしっかりしていないと身をほろぼすことになるのは、誰しもが聞き知るところで彼も結局その一人だった。

今だから言えるけど、日本での彼のファンクラブにもかかわっていた。
あの頃、一緒だった友人たち、このニュースを聞いてどう思ってるんだろう。

マイケル・ジャクソンが亡くなり、デビッド・ボウイが亡くなり、ジョージ・マイケルが亡くなり、そして、ついにデビッド・キャシディーもこの世を去って行った。
臓器不全や認知症にも悩まされていたと言うから今はきっとそれらの苦痛から解き放たれて楽になったに違いないのだ。
ありがとうの気持ちと共に、ご冥福を心よりお祈りします。
2017年11月21日 享年67歳 
フロリダで亡くなる