『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の感想・考察<ネタバレ有り・注意> その3。 | 酔いどれ詩人になる前に・・・

酔いどれ詩人になる前に・・・

開高健・中島らも・勝谷誠彦を、勝手に師とあおぐ只の酔っ払い・・
酔って天才・神童・聖人すらしのぐ名言をのたまうかもしれないが、朝になると全く記憶にないという・・・
そんなグダグタ発言、酒のアテに読んで頂けたら有り難い・・・

 映画でクラシックを使用することは芸術性を高めると

 

書いてけど、前作の『Q』では ハリウッド映画というより

 

クラシックの本場のヨーロッパ映画作品調で、特に登場人物

 

心理描写に静寂とピアノ楽曲(クラシックでいうとショパンを

 

代表するロマンス派)だけで描いでいて、フランス映画みたい

 

というのが俺の最初の感想だった。これが前作『Q』の内容

 

の難解さだけではなく、作風の芸術性を高めたことを

 

理解されず酷評された原因ひとつだと思う。

 

 そして庵野監督は「私は鬱になりました」と公表し、今作品に

 

至るまで長い期間を要したわけだが・・・・・

 

 「シン・エヴァ」では主人公「シンジ」と庵野監督自身がリンク

 

させていることを強く感じさせた。

 

 サードインパクトを言うなれば戦争・災害をおこし、

 

無気力になったシンジ達がたどり着いた先の集落が

 

第二次戦後の逞しく生きようとして成長してきた60~70

 

年代頃をモチーフしたことから始まる。

 

敗戦で現地で戦ってきた男の中やまた、大きな震災の

 

被害を大きく受けた方にもシンジみたく

 

生きる気力がなく、心の病まれた方も、少なからず

 

いたんだろう。それから「レイのそっくりさん」から真意に

 

励まされ、14年前当時の同級生達が大人になって

 

逞しく生活してる環境の中で立ち直って行く。

 

庵野監督も周りから激励と色々なアドバイスを貰ったのかな

 

とリンクさせてしまう。

 

少し大人になったシンジは父親と今起こっている戦況へと

 

向き合って戦うことになるのだけど・・・・・

 

じゃ、なんで俺がまるで「あしたのジョー」みたいにって比喩

 

したかなんだけど、集落の時代背景って「あしたのジョー」と

 

同じで、シンジが精神的理由で嘔吐するシーンがあった時

 

同じ理由で嘔吐する矢吹丈を思い出しちゃったんだね(笑)

 

それに丹下のおっさんみたいに眼帯しているアスカもいるし、

 

このシーンがおかしくてしょうがなかった(笑)

 

じゃラストは真っ白に燃え尽きるだろうなと鑑賞中に勘ぐって

 

いたら、本当に戦いに決着がついたら画面がホワイトアウト

 

しようとして、このまま終わるのかと思ったら、

 

「間に合った!」というセリフと共にマリの登場から、

 

ラストシーンへと繋がる。

 

庵野監督自身も、少年漫画に憧れた厨二病的な少年だって

 

いいたいのだろう(笑)

 

 

 

もう一言だけいいたいので次回も書きます。