『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の感想・考察<ネタバレ有り・注意> その2。 | 酔いどれ詩人になる前に・・・

酔いどれ詩人になる前に・・・

開高健・中島らも・勝谷誠彦を、勝手に師とあおぐ只の酔っ払い・・
酔って天才・神童・聖人すらしのぐ名言をのたまうかもしれないが、朝になると全く記憶にないという・・・
そんなグダグタ発言、酒のアテに読んで頂けたら有り難い・・・

 

 前回書いた感想で思ったことを、映画に使用されていた音楽で

 

感じたこと自分なりの考察を述べたい。

 

前回の作品の『Q』と比べて、時間の尺の長い作品にも

 

関わらず、「意外と、あっというまだった。」思われる方が多いとかと

 

思う。内容の情報の濃さもあったかと思うけど、俺が最初に

 

感じたことは『Q』に真逆に「うるさいなぁ」って思ってしまうくらい

 

音楽が映画全体で途切れることがほとんどなかった。

 

冒頭の「これまでのエヴァンゲリオン新劇場版」で、J.S.バッハ

 

のBWV147 「主よ、人の望みの喜びよ」が流れる。

 

 庵野監督がエヴァに宗教的な部分を含ませていることは

 

知っているが、それ以上、あからさまにクラシックでもメジャーな

 

この曲を使っていることは、日本だけではなく世界を視野に

 

入れて作品を作っているなと思わせた。

 

クラシックを映画に使うことは日本では余り注目されないけど

 

映画の伏線や観客の共感を誘導するときに結構使用される

 

手段で監督の芸術的教養が覗える。

 

 例える作品を挙げるならばはアカデミー外国賞で評価された

 

日本映画「おくりびと」いい例だ。この作品は主人公がクラシック

 

演奏者をやめて転職することからはじまる物語で要所要所に

 

上手くクラシックを使っている。これは言葉やその国の習慣が

 

理解できなくても音楽でそのシーンを共感出来たから外国に

 

評価されたし、クラシックの教養があると洋画のクラシックが

 

使用されているシーンがより理解できて楽しく観ることが

 

出来る。今回のシン・エヴァンゲリオンはクラシック音楽だけでは

 

なく、いろんなジャンルの音楽を多用して観客の共感を誘って

 

伏線も含ませつつ、長尺な映画を観客を飽きさせなく一気に.

 

魅せてくれたんだと思う。

 

 伏線と書いたからついでにエンディングを知っているは

 

わかっていると思うが、冒頭のパリで作戦を行う前で

 

真希波・マリ・イラストリアスがくちずさむ、懐かしい古い歌

 

「ふ~たりのため~、せ~かいはあるの~」で作戦を開始する

 

もうこの時点で終盤の伏線が張られているんだから・・

 

 

ちょっと、思ったことがあるので次回も書こうかな・・