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Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜

多次元キネシオロジストで産業カウンセラーのSatokoのブログ。
日々のあれこれや、自己ヒーリングの記録、趣味のタロットについて、マイペースに綴っています。
オンラインセッションもやっています。

go toを使って、友達と旅行に行ってきました〜。
長崎県の壱岐島に行ってきたんですが、島全体がパワースポットと言われるような、凄い場所でした。

さて、島でどこに行くかを筋反射で見ていたら、2箇所の神社と、壱岐神楽がピックアップされて、何だかよく分からないけど、せっかくだから行ってみよう〜。
と、思っていたら、直前まで天候が悪かったせいで、予定していた無人島への遊覧船がリスケになったり、当日で予定変更の連続でした。
でも大人の旅は、それも醍醐味ですね😊

さて、筋反射で反応した神社の一つは、調べてみると私のご先祖様に関わる場所でした。
小雨の降るなか、友達に山道を運転してもらって到着したのは、いかにも自然と一体化した神社。

御神体の岩の前でエネルギーを感じていると、ふとメッセージが降りてきました。
それは「不安とワクワクは表裏一体。見方次第で、どちらにもなる」というものでした。
ここ最近、被害者意識を抜けてからの不安の発作にワタワタしていた私には、パッと目の前が開けたようなメッセージでした。

自分で自分の人生を決める自由は、今の私にとっては不安でしかないけれど、子供の頃だったら、どんなにワクワクしただろう。

本当はやりたいことがあっても、世間のこうあるべきとか、自分には無理なんじゃないかとか、そんな思いから、自分でワクワクを不安にしてしまっていたんだなー。

自分ももっとセッションを受けたいし、人にセッションもしたいし、リーディングの勉強ももっとやりたい😊
そんな感じで、もっとワクワク過ごしたいです。


写真は壱岐島の近くの無人島、辰の島。
お天気がイマイチだったのに、この海の透明度!
癒されました〜。








以前から時々、圧倒的な不安感、焦燥感に襲われて、苦しくなることがありました。

私の人生、これじゃダメだー。
過去に戻ってやり直したい!
そうだ、今すぐマッチングアプリに登録して婚活しなくちゃ!!えーん

・・・みたいな。自己嫌悪と謎の焦りでいっぱいになります。
まあ、その発作が過ぎると「あれ?私何やってたんだろ」となるので、マッチングアプリに登録したこともないんですが・・・てへぺろ

小さい頃から無意識に植え付けられたていた、母のような大人になることを、できていないという焦り。
もちろん母と私は時代も違うし、性格も適正も違う。

私は仕事や趣味を優先して、結婚や家庭はご縁があれば〜くらいの生き方を納得して選びました。
でもまだ、燻っている何かがあるんだろうなーと思っていました。

でも最近になって、そんな不安の発作が起きる頻度が上がってきました。
不安の中で内観しながら気付いたのが、私は長いこと被害者意識をやめる、というヒーリングを続けていて、今、大きな変化の時に来ているということ。

今まで誰かの言いなり(無意識であっても)で選択していた人生に、急に無限の選択肢が現れて、何を選んでも、選ばなくても良いと言われたら、不安になって当然でしたてへぺろ


母のような人生、というのは、夫やその家族と子供に、自分を後回しにして奉仕する生き方でした。
それを喜びと感じられる人もいるでしょうが、母は「自分が妻だから、母だから我慢しなければ」と言っていました。(それで子供に毎日愚痴を言うので、聞く方も辛かったですが・・・ガーン

自分のために生きたいのに、家族のせいでそれができない。何の楽しみもないけど、家族には愛情があるから仕方ない。

でも母は、祖父母が亡くなっても、子供たちが自立しても、父が不在が多い仕事に転職しても、何も変わりませんでした。

母は自分の喜びのために生きること、自分の責任で自分を幸せにすることよりも、誰かの言いなりになって、誰かのせいで不幸だと自分に言い聞かせる人生を選んだのかもしれません。

そんな母をかわいそうだとか、横暴な父への恨みもありましたが・・・、自分の人生を選択することがこんなに圧倒的な不安感を伴うなら、被害者のまま生きる方を選びたくなるよねー!!と、納得してしまったのでした。

ずっと続いていた、「女性の親類からくる呪い」の正体の一つを見つけた感じです。

そして私はたとえ不安でも、自分で人生を決める自由を選択しようと思います。





私がセッションを受けていて、よく出てくるものの一つに、「誤解されるのが怖い」というものがあります。
自己認識と人から見た自分のイメージが大きく違うと、結構生きづらいものですが、自分でも誤解されやすいような気がします。

でも人が私をどう思うかは、相手次第なのである程度は仕方ないですが、それでも言い返さずにはいられない誤解があることに気づきました。

意外にも一番、反論してしまうのは「あなたはxxが好きなんだよね」みたいな、他愛のない話でした。

私にとって「好き」って、かなりの重い感情で、それを気安く決めつけられたくない。
例えば、私がビーズアクセサリーを付けているのを見た友達に、「キラキラしたものが好きなんだね」とか言われると、「いや、そんなに好きじゃないよ!」と、速攻で否定したくなります。
ただの雑談なんだから、「そうかなー」とでも言っておけば良いのに・・・。
今までは当然の反応をしているつもりだったので、わざわざ話をこじらせていたと、最近になって気付きましたえーん

「好き」と一度でも認めてしまうと、ものすごい責任を負わされるような感覚があります。

例えば「好きなマンガ」と言うには、全巻揃えて丸暗記するくらい読み込んで、かつ5年後、10年後も好きでいなくてはいけない、みたいな。

ネットでよく炎上する、「結婚も子育ても好きで選択したんだから、不満があっても自己責任でしょ」とかに近いかもしれません。

アクセサリーの話でも、「キラキラしたものなら、何でも良いんでしょ」という意味で受け取っていました。
身に付けているビーズアクセサリーは、厳選したものだからもちろん好きだけど、キラキラしたものなら何でも良いと思われたくない。

そんな重たい思考体系を持っていたら、「人生で好きなことをやる」なんて、気軽に選択できる訳がないですガーン

本当は「好き」って、「楽しい」とか「喜び」と近いもので、人生のあらゆる瞬間で選択しないといけないものなのかなーと思います。

そう考えると、一度好きになったら、ずっと好きでいないといけないというのは重いですが、「好き」を何度も自分に問う必要がないので、ある意味では楽です。

もちろん、あんまりコロコロ「好き」が変わるのも考えものですが(笑)
でも「以前は好きだった」に固執しないで、自分の中の「好き」に向き合っていこうと思います。