Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜 -17ページ目

Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜

多次元キネシオロジストで産業カウンセラーのSatokoのブログ。
日々のあれこれや、自己ヒーリングの記録、趣味のタロットについて、マイペースに綴っています。
オンラインセッションもやっています。

もう3月ですね。年度末です。

さて私は会社員として働いていますが、この仕事をずっと続けて良いのか、迷いが出ているお年ごろです(笑)


仕事は嫌いじゃないし、やりがいもある。周囲の人ともうまくいっていて、たまに仕事のやり方で衝突することはあっても、あくまでも仕事の中でのこと。

人として嫌いとか、許せないような人間関係のストレスはありません。


ただ時々、妙な「競争意識」を感じてしまうことがあります。

これはもちろん、周囲というより私の問題なんですが。


同じような仕事をしていても、アピールがうまい人が認められて昇進する。

これって大人同士の世界では当然のことだと思います。

学校じゃあるまいし「自分をアピールできない子を、先生が気にかけてあげる」なんて環境ではありません。


もちろんアピール力が全てではないし、中身が伴っていることは大前提です。

でも中身があっても、アピール力が低い人は、認められず損をしているような感じ。


・・・・・・ええ、要するに私が「中身はあるのにアピール力が低いために損してる!」と不満に思っている訳です(笑)


今の給料は決して多くはないけれど、自分一人で生活するには困らないし、年に12回はヒーリングのクラスを受けに行くこともできる。

でも、もっと給料をもらっている同期を見て、なんであんな人より私の評価の方が低いの!?と思ってしまうこともあります。(不充分感と他者との比較ですねーえーん


でもヒーリングを受けて自分の理解力のなさに愕然としてから、周囲を見てみると、評価されている人はその辺の理解力が高いんですよね。

それが会社としての評価基準なら、私の評価が低いのは当然です(笑)


とはいえ、実は今年度の評価が悪かったら、会社を辞めようと思って、この一年働いていました。

まあ、私を評価してくれない集団に、これ以上いるのも自己肯定感が下がるし。

(いや自己肯定感って他者からの評価は全然関係ないんですけどねてへぺろ


今の仕事には、通勤も含めて毎日十数時間、週に5日間を費やしていますが、私の人生の時間をもっと他のことに使いたい。そんな思いも膨らんできました。


今の仕事は、苦痛ではないけれど喜びでもないように感じています。

やりがいがあるし、人間関係も良い。でももっと働きたいかと言われると、全然です・・・。

特別な能力もない私が、安定と給料を求める上で、比較的コスパの良い仕事。そんな程度なのかもしれないと気付きはじめました。


仕事をやめてヒーリングやカウンセリングをもっと受けたいし、自分も人にやっていきたい。

家事をしたり、絵を描いたり、本を読んだり、興味のあることを勉強したり。

そんなことをやる時間ももっと取りたい。


そんな訳で、年度末の評価の結果によって、自分の今後を考え直すつもりでいました。

評価されたら嬉しいし、評価されなかったら別の人生にチャレンジするきっかけができる。どっちに転んでも私は大丈夫!


・・・でも本当は、自分の人生で大切な決断を、仕事の評価なんて他者基準の理由で決めようとするなんて、甘え以外の何物でもないのかもしれません。


会社を辞めるかどうかは、評価とは関係なく自分の意思で決める。

どんな結果になるとしても、一つの大きなものと向き合う、年度末になりそうです。



さてさて、今日も元気に自己ヒーリングです。

今日のテーマに選ばれたのは、不充分感とか他者をコントロールしようとする性質。
今の問題に影響を与えている幼少期を探っていると、ふと中学受験の勉強をしている時のイメージが出てきました。

中学受験は親が決めたことでしたが、自分では当然のことと捉えていて、本当は嫌だったとか考えもしませんでした。
これ、私の子供の頃を思い出すとよく出てくるんですが、本当に受け身というか・・・。
親や周囲が決めたことに対して、自分に拒否権があると知りませんでした。

認知不協和理論に当てはめると、嫌だと思っても絶対に変えることができない(と思い込んでいる)状態では、自分が傷つくのを避けるため、嫌だと感じることもしなくなる。
むしろその状況が自分にとって価値のあるものだと意味づけようとする。
・・・そんな感じでしょうか。

親の望む優等生であることを、むしろ誇りに思ってた節もありますガーン

あと母が中学受験する姉につきっきりで、私は邪魔者扱いされていたので、自分も受験すれば母の関心を得られると考えたこともありました。
まあ実際は姉の受験が終わっても、母は中学生になった姉につきっきりでしたが(笑)

それでどういう流れか、父が私の勉強を見てくれることがありました。姉と母の邪魔をしないように、子供部屋に父と二人きり。
勉強机に向かって問題集を解く私の後ろに父が立ち、私の頭をずっと左手で掴んでいる状態でした。
父は私の回答を覗き込み、不正解だったら右手でボカボカ私を殴る。
避けようにも、父に頭を押さえ込まれていて逃げられない。

でも私は、姉より自分が注目されていることを、どこかで嬉しく感じているし、殴られたのは不正解だった自分の責任であり、もっと勉強すれば理想の状況になるはず・・・みたいに思ってました。

・・・もうバカを通り越して、哀れだわ(笑)

父も手加減はしていたので、暴力を振るっている自覚はなくて(相当痛かったが・・・)、休みの日に子供の勉強を見てあげる優しい父親のつもりだったんでしょう。


さてヒーリングでは子供の頃の自分の純粋さに焦点を当てて進めます。
大人の自分が理性でジャッジすると、つい「小学生の私、バカじゃないの!?」となってしまいますが、全ては親への純粋な愛情と、親に認められたい、愛されたい故の自然な流れです。

そうしてヒーリングを進めていると、スキャンリストで「吐け口として、弟、妹をいじめた」というものが選ばれました。

・・・はて、私は末っ子なんだけど。
親戚の中でも最年少だったし。

そう思っていると、子供の頃飼っていた犬のことを思い出しました。
私はその犬が大好きだったので、理不尽にいじめたり、ましてや虐待なんてしていません。

でも、例えば犬が部屋の中で粗相をしてしまった時に、犬を捕まえて叱ったことがありました。
左手で首輪を掴んで、右手で犬のお尻を叩いた。
まるで自分が父にされたみたいに。

トイレのしつけは叱っても効果が低いそうなので、もし今だったら絶対そんなことはしませんがガーン
子供の頃の私は正しいことをしているつもりだったように思います。

後始末をしないといけない、自分こそが被害者と感じて八つ当たりしていた面も、全くなかったとは言い切れません。

それでも私が学校から帰って来ると、尻尾を振ってキラキラした目で迎えてくれる犬のことが大好きでした。
私が叩いても叱っても、絶対の愛情と信頼を向けてくれる。その関係性に、どこか優越感を感じて甘えていたのかもしれません。

父と私の関係が、そのまんま私と犬の関係に投影されていたんですね・・・。
昨日のように、涙が溢れ出すような感動はありませんが、過去の出来事の見方がガラッと変わってしまう、ちょっと衝撃の自己ヒーリングでした〜てへぺろ



世間ではウイルス騒ぎで、色んなところに影響が出ているみたいですね。
1日でも早く、収束することを願っています。

さて、私は最近でも毎日のように、今まで当然過ぎて意識もしていなかったことが、全然当たり前じゃなかったと気付いて、愕然とすることが続いていますガーン

ヒーリングやカウンセリングを勉強していて、そういった気付きは何度も味わっていましたが、もう毎日のようにあると、今までの私ってなんだったんだろうと、遠い目をしてしまう今日この頃です(笑)

そんな日々の気付きを少しずつ書いていこうと思います。

さて、一つ目はTVを見ている時に思い出すこと。
アニメとかドラマって、深刻なシーンで声が聞き取りづらいことってありませんか?
そういう時に、ついつい音量を上げてしまい、急にCMになって音が大き過ぎてビックリします笑い泣き

で、その時にいつも思い出すのは、実家で暮らしていた頃のこと。
そのシチュエーションで、母が悲鳴のような切迫した声で「音大きい!」と言ってくることがよくありました。いや、母の声自体は小さいんですが、何というか私の中の本能的な危険センサーを刺激するような感じです。

実家では父がチャンネル権を持っているので、父がいる時には、見たいテレビ番組は見られません。
そして父がいつも、夜遅くまでリビングに居座るんですよ・・・。父が椅子に座ってウトウトしていると、早く寝室に行ってくれと願ってるんですが、風邪引くからお布団に・・・とか声をかけても「うるせぇ!黙ってろ」と怒鳴るだけ。

ようやく父が寝室に行くと、母が録画したドラマを見始めるので、私が録画した番組を見られるのは、いつも日付が変わってからでした。

ただ時々、母がドラマを見ない日もあり、キッチンで家事をしながら、私がテレビを見て良いと言ってくれることがありました。

私はテレビの音を小さくするために、できる限りテレビに近づいて見るんですが、それでも場面によってセリフが聞き取れないことがあり、少し音量を上げてしまう。
で、CMになって、最初の母の言葉に繋がります。

母としては、テレビの音で父や祖父母が起きてしまったら大変。起きてこなくても、万が一音が聞こえていて、深夜に子供がテレビを見てるなんてバレたら、何と言われるか・・・。
そんな恐怖だったんだと思います。

ヘッドホンはありましたが、たまに寝たはずの父が起き出すことがあるんです。
その場合は、父がリビングのドアを開ける前に、チャンネルを普通のニュースか何かに変えておかないといけないので、廊下の音にも集中している必要があります。

自分で書いていて改めて思いますが、本当、面倒臭い家庭ですねー笑い泣き
でも私はそれが普通だと思っていたので、これも頭オカシイ(笑)

さて、自己ヒーリングでこの時のインナーチャイルドが出てきました。
大人の私としては、母の問題を自分が背負おうとして傷ついたんだろうなー、くらいに思っていました。
でも自己ヒーリングを進めていくと、意外なものが出てきました。

自分を認めて欲しい。自分の好きなものを、理解して欲しい。

自分が好きなものを隠すことを強いられて、自分自身が認められていないように感じる。
そんな寂しさ、悲しさ、そして虚しさ。

もうボロボロのインナーチャイルドが出てきましたよ(笑)

私の自己ヒーリングは多次元キネシオロジーとヒプノセラピーを中心に、自分が勉強してきた色んな手法を合わせた自己流です。

ヒプノセラピーでボロボロのインナーチャイルドの声を聞いて、悲しみを一緒に感じて、でも大人の自分として声をかける。

寂しいし、悲しいけど、どうせみんな自分のことで手一杯なんだから仕方ないと達観しているインナーチャイルドと、イメージの中で手を繋いで話を聞いたり語りかけたり。

こんなんで良いのかなと自分で思いながらやっているうちに、突然、母のイメージが登場してきて、急に涙が溢れて止まらなくなりました。

仕方ないと言いながら、母に愛情を求めていたインナーチャイルドの感覚が、自分の感覚として入ってきた感じでした。

その後、キネシのリストで「母親に罪悪感を持った過去世」が選択されたので軽く調整し、フラワーエッセンスを使って終了。

インナーチャイルドの癒しは、キラキラしたヒーリングと比べると地味ですが、本当に基本中の基本です。そして奥が深い・・・。
そんなことを改めて実感しています。

一人一人が自分のインナーチャイルドを少しずつでも癒すことで、世界も変わっていくのかなー、なんててへぺろ