Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜 -16ページ目

Comet Picnic 〜未知の世界を旅するように〜

多次元キネシオロジストで産業カウンセラーのSatokoのブログ。
日々のあれこれや、自己ヒーリングの記録、趣味のタロットについて、マイペースに綴っています。
オンラインセッションもやっています。

家庭や学校と仕事では、評価の基準って全然違うのに、なかなかそれを教わる機会がなかったなーと思うので、ちょっと書いてみます。

評価は受動的な行為なので、つまり評価する人の期待に応えること。評価する人が自分に望むことを理解して、それに沿った行動を見せる必要があります。

学校の場合は先生、仕事の場合は上司の期待に応えること。それだけ言うと、かなりシンプルです。
(家庭は親だったり、配偶者の期待に応えることになるし、期待の内容もすごく個人的になるので、ここでは省略)

学校では先生の好みもありますが、基本的には各教科で成績を上げることと、集団を乱さないこと。更には先生を手伝って集団をまとめることも。
あと、できないことに挑戦して、できるようになる、みたいな体育会系の美談も評価されやすい気がします。(偏見入ってますね・・・/笑)

で、仕事での評価ですが・・・。これは上司や経営層の期待に応えることであり、はっきり言って、プロセスよりも結果です。
努力とか正直、どうでも良い(笑)
むしろ同じ難易度の仕事を、軽々やった人と、一生懸命努力してやった人がいたら、軽々やった人の方が評価されるでしょう。

一生懸命努力した人には、そこが限界とも言えるからです。
更に大きい仕事を任せたいと思ったら、軽々やった人の方ができる可能性高いので、その人を昇格させる方が会社にとって都合が良い。

もちろん軽々やった人が、周囲にパワハラしまくって自分だけが楽にやっていたら論外ですが、それはチームをまとめる力がないということなので、どこかでボロが出るでしょう。

学校では多少の選択科目はあるものの、基本的には皆で同じことをやるので、その中でどれだけ成績を上げたか、努力したかが問われますが、仕事ではむしろ、努力せずにできることを自分で探す必要が出てきます。

残念なことに、自分の苦手なことを指示されて、大変な努力をしてこなして、普通の結果を出しても評価されないんですよね。

もちろんその努力が自分にとって楽しいことで、評価なんて関係なくやりたいのなら問題ないですが、嫌々やっていて、努力=我慢になってる場合はなおさら、評価とか見返りを求めないとやっていられない。

そうすると、評価されるためにもっと我慢しなきゃ、といった悪循環にハマる可能性があって、ちょっと危険です。

振り返ってみると、親や先生には我慢の大切さを繰り返し説かれて言われていましたが、それって我慢強い子どもだと、周りの大人が楽だからなのかもしれませんねてへぺろ

でもその我慢=美徳、の感覚のまま大人になるのは本当に危険だなぁと感じます。

って、偉そうなこと言っていますが、自分も結構長いこと、その感覚で社会人をやってたんですけどね笑い泣き

自分で自分の好きなことを知り、それを社会なり会社に役立てる手段こそが「仕事」であって欲しいと思います。

・・・って偉そうなこと言って自分だって(以下同文/笑)


たまには違う話題でも。
最近、うっかりキーボードが増えています。
こういうのは気になり出すとどんどん増えるので、なるべく買わないように気をつけているんですが・・・(笑)

と言いつつ、以前から気になっていたHHKBを買いました。
私は普段は薄型のキーボードを使うことが多いので、このガッシリした重みにはまだ慣れないです。
(単独のDeleteキーがないことにも、まだ慣れないガーン

とはいえ、せっかくなので色々打って遊んでいると、自分のタッチタイピングが相当自己流なことを思い出して、教科書通りの打ち方(キーに対応する指)と比較しみました。

わかったことは・・・。
とにかく中指を多用(笑)

本来は人差し指で打つキーでも上段はだいたい中指。何なら薬指で打つところも中指。
もしかしたら、人より人差し指が短いのかもしれません笑い泣き

まあこれはこれで良いですが、普段は無意識に打っているので、意識的に見てみること、そして見本があることで自分の癖に気付くことができました。

これって、ものの考え方の癖も全く同じなんですよね・・・。
無意識だし見本もないので、気付きにくいですが、皆、何かしら癖を持っていて当然だし、癖があることが悪いことではない。
でも自分を幸せにしない、考え方の癖には気付いておいた方が良いです。

そしてセラピストとして大切なことの一つは、できるだけたくさんの「見本」を持っていることだと思います。
もちろん全ての「見本」を持つことはできないのだから、適当な見本に当てはめてしまって、目の前の人を理解する機会を逃しては本末顛倒ですが。

でも大事なことを言わないクライアントさんもいるので、やっぱり見立ては大事だなぁと思う今日この頃です。

キーボードの話が、結局ヒーリングの話になってしまいましたてへぺろ


テレビではコロナウイルスの話題ばかりみたいです。

私の周囲には、抵抗力の弱いお年寄りや子供がいないので、インフルエンザで大変、みたいな時もいつも情報に出遅れているんですが・・・。

職場では出社前の検温が奨励されましたが、うち、体温計あったっけ。くらいの状態です。


でも聞いてみたら、私の周りでは皆、一人暮らしでも体温計を持ってました。

何に使うの!?と普通にびっくりした私です・・・ガーン


どうやら体調が悪いと自覚した時に、体温計で熱を測って自分が把握している平熱と比較して、その日の予定を変えたり調整するそうです。

・・・いや、私も知ってますよ、そのシステム。

小学校の保健室とか、テレビドラマで見たことあるので。

でも、職場の大半の人が、当然のようにそれを実行していると知って衝撃でした。

そんなにメジャーなものだったんだ、と。


で、やはり自分の小さい頃を思い出してみると、確かにそんなこともありました。

ただ嫌だったのは、体調が悪いと訴えても熱がなかったら、仮病と断定されて叱られるんですよ。


「怠けてる。甘えるな」

「嘘をついて親を騙そうとしたんだろ」とかとか。


「熱がなくても、クラスメイトに風邪をうつして迷惑をかけるかも」なんて言った日には、「怠けるための言い訳ばかり達者になって・・・」と、怒られるか呆れられるか。


熱があって休めても「具合が悪いって言えば寝てられて良いね」とか、嫌味を言われ続ける。


そこに反発するよりも、そういうものなんだと思い込んでしまう子供だったので、いつのまにか私もクラスメイトが体調不良で学校を休むと「どうせ甘えて怠けてるんだろうな」と思うようになっていきました。


辛い状況ではあったんですが、でも熱があっても学校に行ったら、褒められるんですよ(笑)

昭和の体育会系かい!?(偏見です。すみません・・・)


そんな環境が当たり前だったので、無意識のうちに自分の体調不良に鈍感になっていきました。


今思えば、子供の頃の私はとても疲れていて、とにかく休みたい時がありました。

学校に行きたくないというより、体力的にが辛くて横になっていたかった。

だけど相当な高熱でもないと、親に休む許可をもらえないので、次第に「本当は横になっていたいのに」といった感覚も忘れていました。


自分の体のことなのにね(笑)

体調不良を自分で認識するために、親の許可を必要としていました。

でも今はもう、親から欠席を連絡してもらわないといけない子供じゃないですからね。

自分の体調を感じたり、悪化しないように対処する経験を増やしていこうと思います。


そんなことに気付くことができた、今回のコロナ騒ぎでした。

・・・なんだか毎日のように、今までの自分が当然と思って意識すらしていなかったことが全然当たり前じゃなくて、愕然とすることが続いています。

私は一体どこに向かってるのー!?(笑)