10年ほど前まで、旅行先以外で神社へ行くのは、地元の大きな祭礼と正月の初詣の時だけでした。
何がきっかけだったのか、10年前くらいから、それ以外の時もぽつぽつとお詣りをするようになりました。
といっても大抵は、お願いごとのある時だけでした。
義父ががんを患い、子ども達と手術成功を願ってお詣りしたこと。
新しい仕事に就き、何の特技や資格も無かった自分でも、少しでも誰かの何かのお役に立てますようにとお力添えを願ったこと。
高齢になってきた両親の旅の安全をお願いすること。
病後で体力の落ちていた母のワクチン接種が、無事に終わりますように、等々…。
それまでは、お詣りをするときの最初に「いつもお守りお導きくださり、ありがとうございます。」と、普段の暮らしに関してのお礼をお伝えするようにしていました。
ある時「特定でお願いしたことに関してのお礼が言えていなかった」と氣が付いてからは、年末年始も三が日に初詣でお願いごとをするのではなく、年末に必ずお礼詣りをすることに決めました(1年分まとめてではありますが……)。
初めて大晦日の日にお礼詣りへ行ったのは4年程前だったかと思います。
お詣りに行き、家に戻ってコタツに入ると(大掃除は何処へ…(笑))、足に何かが当たりました。
当たったものを取り出してみると、それは1年以上行方がわからなくなっていた、長年愛用していた腕時計でした。
秋に出したコタツに、1年以上行方不明だった腕時計が紛れ込む可能性はあっただろうか?
…どう考えても、ありませんでした。
これは神様から「お礼は聞き届けたよ!(神様は、いるよ!)」というメッセージなんじゃないだろうかと思いました。
時計が見つかった喜び以上に、家のコタツから魔法のようになくしものが出てきたという体験(&メッセージ)に心の躍った大晦日でした。
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さて、それからしばらく経ち、つい最近の話です。
前の仕事の時、月1回くらいのペースでお詣り(ご挨拶とお願い)をしにいっていたにも関わらず、その仕事を終えた時にお礼へ行けていませんでした。
(退職してしばらくの間、精神的にも肉体的にもいっぱいいっぱいで、何かを振り返ったりする余裕が全く無いような時期でした)
ある日の朝、「あんなに仕事のことで神社へお願いに行っていたのに、あの時のお礼に行っていない!!」と氣が付き、すぐに神社へ行きました。
その時に、前の仕事のお礼と、母がワクチン後も体調が良いことへのお礼を神前でお伝えしました。
帰り道に車を走らせて、信号待ちのために減速したときです。
対向車も信号待ちで減速をして、斜め前にいた車がちょうど真隣で止まりました。
隣の車を見ると、まさに、前の仕事の時にお世話になっていた中心人物の方が乗っていて、2年ぶりくらいにそこで顔を合わせ、向こうも氣が付いてくれてお互いに急いで手を振ったのでした。
「いや、このタイミング!!!」と思いました。今、その仕事のことを神様にお話ししてきたばかりです。
そして、実家の母ですが、最近人から紹介された病院の先生に見ていただき、減薬をすることになりました。
ここ2年程、大量の薬を処方されて飲んでおり、多剤摂取による副作用が心配で減らして欲しいとずっと思っていたのですが、新しい先生が出してくれた薬はだいぶ量が減らされており、少ない量の薬になったら、母の元氣はより以上に回復してきたのでした。
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こんなこともありまして、「お礼詣り、そういえば行ってなかった!」と思い出した方がいらっしゃれば、ぜひぜひお早目に行かれることをおすすめします。
ちなみに、今回の3つの出来事に関しては「お礼を言わなければ良いことが起こらない」という意味ではなく、神様が、感謝の氣持ちをもつことの大切さを教えてくれたのかなぁと思っています。