最近になってようやく監視社会を政府が推奨するのかわかった。
責任を有耶無耶にしたいからだ。
大人というのは自身の失敗に対して何らかの償いをしなければいけない。監視社会はこれを否定するためだけに存在しているのだ。
誰かに刺されるかもしれないという考えは自身の被害者性しか頭に入らず、自分も加害者に廻るかもしれないという加害性がない。
被害だけを語る人間は殺人を犯しても『自分は本来こんなことをする性格ではない、もののはずみだった』と言い続けるだろう。動機=加害性の共有をしない社会に安穏としていればこんな無責任な発言が出てきてもおかしくはない。
政治家たちは国民が加害性を頭から消すことで、贖罪や責任というものを一掃するつもりなのだ。そうすればたとえ政治家が汚職をどれだけしようとも主権者たちは黙認するからだ。
日本はこれから子供だらけになるだろう。当然だ。責任はとらないが自分の言うことは聞いてほしいというのは子供の論理だ。だからガキの言う事なんぞ本来鼻で笑ってやれば良いものをこれからの大人達はそうしたもっとも子供らしい子達に対して同族嫌悪を顕にするだろう。
これからの日本は被害妄想と我儘が取り柄の二流民主主義国家として歴史に名を刻むに違いない。