第二の人生のリノベ-ション!
「有る」に目を向けて
本当の私で生きる!
秋田の四柱推命鑑定師
里子(さとこ)ミサト
子どもができた事を知っても
父は冷静に見えました。
心の中では、
相手の男性(Yさん)に対しては
はかり知れない怒りは
あったと思うのですが、
私に対しては
優しい父でした。
私、一人で、
子どもを産むって
決めたことで、
家の中が暗く
ギスギスしてしまって、
家族に本当に
申し訳ない気持ちで
いっぱいになりました
自分一人で抱えている時より、
段々ジワジワ
身に染みてきました
今の時代は、
子どもが少ないから
「授かり婚」とかいって
喜ばれたりしますが、
私の時代は、
「できちゃった婚」
と言われていて
あまりイイ感じでは
ありませんでした
お腹が目立つ前に結婚式をして
「子どもが生まれました」って
聞いて
アレ?
結婚式してからまだ、
〇ヵ月しか経ってないのに
子供が生まれた
計算が
合わないんじゃないとか
結婚する前に、
子どもができていると
あまり良い印象ではない
時代でした。
それなのに私は、
未婚の母に
なろうとしていたのです。
田舎だし、
それはそれは地域では、
大ニュース
だったかもしれません。
いまだに、
友達や親に
「あの時、私のこと、
どんな風に
ウワサされて
いたのかな?」って
聞くことが
できません。
それだけ
私たちの年代の人にとっては
大変な事件だったのです。
そう、事件
その時代、
未婚の母になるという事は、
事件だったのかも
それでも、
父は私に優しかったです。
母の私に対する態度を
分かっていたからだと思うし、
むしろ、
新しい命の誕生に
何かワクワクしてるようにも
感じました。
娘ばかりで、
男の子の誕生を
期待していたのかも知れません。
父には
本当に
救われました
父とは四柱推命でいうと
「納音(なっちん)」という相性で
物事が白紙に戻るという相性
でも、
とっても仲良しなのですよ
親子の仲は
占いでは、
一言では
言い表せない
間柄なのです。
父は、私が小さい頃は
出張が多かったのですが、
私が中学に入った頃に
出張の無い仕事に転職しました。
私が中学の時にやっていた
バレーボールの練習を
見に来てくれたり、
試合や練習試合に
付いて来てくれるようになって
それから、とっても
仲良しになりました。
父が練習や試合を
見に来てくれて
嬉しかったのでしょうね
高校に入ると、
父の通勤途中に駅があったので、
毎朝、車(軽トラック)で
送ってもらっていました。
駅まで10分弱の車の中で、
父と色々、話をするのが
嬉しかったです。
家の跡継ぎの心構え、
田んぼの段取り、
私の学校でのことを話したり
その頃の
父との思い出は、
楽しかった事ばかり
思い出します。
そして
今でも仲良しです。
まだ親孝行は
できていないので
もう少し長生きしてね
四柱推命は
『占いの帝王』
『世界一的中率の高い統計学』
といわれています。
生年月日から
持って生まれた本質が
わかるのも、
もちろんのこと、
あなただけの
一生の運氣の流れも導き出します