双子妊娠、早すぎる別れ -9ページ目

双子妊娠、早すぎる別れ

妊娠12週に、双子そろって臍帯ヘルニアかもしれないと告げられた。結局もっと重い病気だったために16週で中期中絶。自分自身の気持ちの整理のため、そして双子が生きていた証としてブログを残すことに。

2014.8.6 16w1d 
中期中絶 1日目

家からクリニックまで500mほどなので、歩いて行く事にした。

中絶処置の流れは病院ごとに異なるようだが、今回私は以下のような説明を受けていた。

一日目 朝ラミナリアを入れ、夕方に入れ替える処置。何もなければ帰宅。
二日目 朝・夕にラミナリアを入れ替える処置。何もなければ帰宅。
三日目 朝一から陣痛促進剤投与。何もなければ帰宅。場合によっては入院。

私は入院・点滴共に未経験なため、自宅に帰れるのは精神的に助かる。
だけどもラミナリアを入れるってどんなだろう。
タンポンとはまた違うのだろうけど…
中絶した方のブログを読んでた中に、このラミナリアを入れるのが痛かったという方がいて、正直チキンの私はビビリまくっている。
そういう自分を落ち着かせるためにも歩いてクリニックに行ったのだが。

クリニックに着くと、いつもはない救急車が停まっていた。
そして建物のすぐ前に救急隊?の方が二名と、NICUで使うようなグローブボックスが一つ置いてあった。
どこかの病院から転院されてきたのかと思ったが、すぐに逆だと気づく。
クリニックの受付に行くと、いつもはない「処置中」の札。
先生が何かしらの処置のため、診察待ち状態のようだ。
おそらく、このクリニックで入院されてた妊婦さんの赤ちゃんが、状態のよくない状況で産まれてしまうのだろう。
そしてこれから大学病院に赤ちゃんが搬送されるのだろう。
そう思った。

どうか、我が子たちは助からない身体だけれども、この赤ちゃんだけでも無事でいますように。

そう願わずにはいられなかった。


その後、程なく診察が開始され、名前が呼ばれる。
最初にエコーで赤ちゃんの状態を診ますと先生。

一人は頭が下だけど、もう一人は逆子だね、と先生。
最初から最後までうちの子たちの立ち位置は変わらないんだね。

うちの双子はそろって元気そうだった。
相変わらずモゾモゾ動いていて、余計悲しみが募った。

いっそのこと死んでたらよかったのに。
そう思った。

まだ生きてる命を、断つ。
いかなる理由であれ、私の身体はそれに向かっているのだ。

じゃぁ、望み通りお腹の中で死産していればよかったのか、
いっそのこと流産していれば悲しみも罪悪感も少しは軽くなったのだろうか。
答えは、ノーだと思う。
どんな形であれ、我が子を失う悲しみは何ものにも救えない悲しみ。
私は、その悲しみから少しでも逃れたいために「そう」思ったにすぎない。

私が子ども達にしてあげられる最後の仕事が今から始まる。
どんなに辛くても乗り越えなければ。
彼らの存在意義を無駄にしないためにも。


それでは処置を始めるので、と言って診察台に移される。
痛いのだろうか、そう言えば先生も「ラミナリアを入れるのが痛いという方もいます」って言ってたなと、余計な事を思い出して緊張が高まってしまう。
が、実際私はそんなに痛くなかった。
全く痛くないというと嘘になるが、痛みというより違和感の方が大きかった。
そして緊張と、お腹への違和感で気持ちが悪くなり、私は嘔吐いてしまった。
大丈夫?と尋ねられ、もうちょっとだから、と、吐いてもいいようにビニールを探してくれる看護師さんに『私、吐きたくても吐けないんで大丈夫です』と、自分の変な体質を伝え、入れ終わるのを待った。
もう、その辺でいいじゃん、と思ってから数本入れられたところで処置は終わった。
全部で8本入ったらしい。
多いのか少ないのかわからない数が頭をかけ巡る。

「大丈夫?今空いてるベットがなくて横になれるとこがないんだけど、ここ(診察台)で休む?」と声をかけられたが、診察台で休むのも嫌だし、他の患者さんに迷惑かかるので『大丈夫です』とは言ったものの、一度嘔吐いた人間を易々と帰せないのだろう。
待合室の隅の椅子で休むように言われ、嘔吐いてしまっただけでもう大丈夫なんだけどなと思いながら、ボーっとして待っていた。
しばらくすると看護師さんがやってきて、「さっきちょっとしんどそうだったから、先生が今日の夕方は来なくて大丈夫ですって。それと、明日もっと辛かったら入院してもいいから、明日と、明後日も入院になってもいいように二日分の準備して来てもらえる?」と。
できたら入院したくないけど『わかりました』と答えた。
「迎えの人は…?」と尋ねられたので『家まで歩いて帰る』と答える私に少し驚いた表情を看護師さんはした。
『近いんで』とは答えたものの、こんな田舎で(←失礼)親戚縁者が一人もいないというのも珍しいのだろう。
頼る縁がないのだから一人で通うしかないのだ。その覚悟がなければ地元を離れて働く事など到底できない。転勤族の妻など務まらない。


家までの数百メートル。
痛いわけではないが歩みが遅くなる。
人工物が入れられたということだけは確かに感じるお腹を引きずりゆっくり帰った。
明日は荷物があるものの、これは荷物のありなしに関わらず車で行く方がいいのかもしれないと思った。

家にたどり着き、入院の準備と今日までの洗濯ものを全部すませた。

流石に夕食を作る元気はなく、夫にお弁当を買って帰ってきてもらった。