2014.8.8 16w3d
中期中絶 3日目
小雨がぱらつく金曜日。
とうとうこの日がやってきてしまった。
不安と、不安から解放される事への期待と、罪悪感と…
うまく説明できるほど単純でない混沌とした気持ちの中、クリニックに向かった。
今日は夫も仕事を休んでくれていて、付き添ってくれることになっていた。
入院することになってもいいように準備をして、朝一で出発。
クリニックの二階が出産のための階になっているようで、分娩室、病室などがある。
個室に通され、用意された病院着に着替えるように言われた。
個室にはベットの他に長椅子とテレビ、ポット等あり、過ごしやすくなっている。
しばらく夫と待っていると、ようやく助産師さんが来て今日の流れを説明してくれた。
陣痛促進剤を使っていくこと。きっちり三時間おきであること。
順調であれば入院はしないこと。
もうすぐ処置が始まること。
それからほどなくして呼ばれる。
処置が始まるのだ。
分娩台に通され、ラミナリアが外されて行く。
きっちり18本抜かれたことが確認され、陣痛促進剤が投与される。
「一錠で効かなかったら、次は三時間後にもう一錠追加します」とI先生。
普段はココで普通に赤ちゃんも産まれているんだと思うと、死産に向かう我が子が不憫に思えてくる。
そしてそれを進めてくれている病院の方々にも申し訳なくなってくる。
だけどもう、誰にも止められない。
誰にもこの結果を変えることはできないのだからと自分に言い聞かせ、再び病室に戻る。
最初に説明してくれた助産師さん、Sさんが再び病室を訪れ説明してくれる。
「今陣痛促進剤を入れたので、徐々に痛みが出てくると思います。痛みが我慢できなくなったらナースコールを押してください。それ以外にも何か異変があったら押して下さい」
病室に夫と二人だけになり、テレビでもつける事にした。
テレビで何が流れていたかなんて覚えていないが、なかなか痛みがこないと思っている間に一時間半が経った。
それから徐々に痛みが出始めるのだが、どこまで痛くなるのか想像がつかないためなんとなく痛みの感覚を計ってみる。
生理痛が酷すぎる私には余裕で我慢できる痛みだけど、なんとなく痛みの感覚が狭まってる?
だけど、「我慢出来なくなったら」って言われたしなぁと、ナースコールを鳴らすべきか迷っていると体の中からプチプチプチという、何かが弾けたような感覚が伝わってきた。
今の何?
と思った次の瞬間、大量の水が出てくる。
破水だった。
慌ててナースコールを押したのはよかったのだが、まさか破水するとは思っていなくて動揺のあまり、『破水した』と伝えられない。
それでもスタッフの方は事態を察知してくれ、すぐに病室に来てくれた。
そして破水した私の体を支えながら分娩室まで連れて行ってくれた。
分娩台に通され、Sさんも来てくれる。
I先生も呼ばれ、子どもの状態をチェックしてくれた。
まだ頭が出てるだけですねとI先生。
先生は帰り、他のスタッフもひき、Sさんと私の二人だけになる。
破水からどれくらいで産まれてくるのだろうか、全く予想もつかない。
とりあえず、普通の分娩のときは痛みが出る時にいきむって何かで見た気がして、同じように痛みが来る時にいきんでみる。が、何もかわらない気がする。
変わったのか変わらないのかも分かってないまま分娩台で寝ていると、ふと、『出る』とわかる時が来た。
『出る』と思った次の瞬間、ツルツルっとまず第一子が産まれた。
産まれた。
産まれてしまったのだ。
午前11時15分。第Ⅰ子が産まれた。
産み落とした私の目からは、涙があふれていた。
が。なぜ泣いているのか自分でもわからなかった。
死産が悲しいのか、我が子を産めた事実が嬉しいのか。
涙を流す私に、Sさんがハンカチを渡してくれた。
ほどなくしてI先生がやってくる。
もう一人の赤ちゃんの状態を診ますと言って、エコーをあてる。
「まだ子宮の中ですね」と先生。
「痛みはありますか」『ほとんどありません』
「破水もあって出産もしたから陣痛が遠ざかったかもしれないね、三時間待って陣痛が来なかったら陣痛促進剤を追加しましょう。」
一錠目の投与から三時間後の時間まで、あと一時間もある。
すっかり痛みは遠のいてしまったので、次の投与まで陣痛は来ないんじゃと思ったが二人産むまで病室には戻れないらしい。
単胎妊娠だったらここで終わりだったんだ。と思うと、双子を身籠ってしまったことがしんどく思えてくる。
だけど、もう一人も産んであげなければ。
生きてゆけない体でこの世に生を受けた子どもたちが、死産という使命を背負って生きてきたのだから、彼らの使命を全うさせるのが私の使命。
そう気持ちを改め次の陣痛を待つが、なかなか来ない。
あれよと言う間に一時間が経ち、二錠目が投与される。
一人目は投与からおよそ二時間で分娩された。
二人目もそれくらいかかるだろう。
分娩台で陣痛を待つ私に、Sさんはずっと付き添ってくれた。
体をさすってくれ、元気がでるようにとアロマをたいてくれた。
当然の事ながら主人は病室で待機。
分娩の間私を支えてくれたのはSさんだった。
二錠目の投与から一時間半が経ち、そろそろ痛みも出だしてきた。
この頃になるとさすがにSさんもカーテン向こうの机に座って別の仕事をしているようだったが。
一回目の陣痛を思うと、たいしたことのない痛みでも陣痛らしいという事で、大変難しい判断を私はくださないといけないようだ。
陣痛?そうかな?そうじゃないかな?
と思っていると、Sさんが「痛くなってきた?」と聞いてくれた。
『ちょっと痛みも強くなってきました』と言うと、破水に備え出してくれた。
吸水シートが敷かれてしばらくすると、またあのプチプチっという感覚に襲われる。
次の瞬間、ドバーっと破水。
ドクターコールでI先生も呼ばれ、二人目の出産を待つ。
一人目の感じだと出る瞬間が分かったので、しばらくはボーッとしとくしかないのかなと考えていた。
I先生も、戻る事なく出産を待ってくれている。一人目のときは診察時間だったが今は午後の診察前だからだろう。
破水からしばらくして、あの、『出る』という感じがした。
『産まれる…』そうつぶやいたあと、二人目が出てきた。
二人目は逆子だったため、関節のような骨っぽいものが当たりながら出てくるのが分かった。
それでも、すんなり出てきてくれた。
午後2時20分。第Ⅱ子が産まれた。
二人目が産まれた時。
涙は出なかった。
「今から胎盤を剥がします」と言って、もう一人応援スタッフが呼ばれた。
胎盤はすんなり出てくるものと思っていたが、今は妊娠中期。
そう簡単にはがれるようにはできていないらしく、器具でむりやり剥がすらしい。
そういえばブログでこの胎盤剥がすのが一番痛かったという方がいたなと、また余計な事を思い出してしまう。
結論から言うと、私はもっとひどい痛みを知ってる。
私の重いときの生理痛の痛みといったら、屈強な男たちが私の子宮に縄を括り付け、それを引きずり出そうとしてるんじゃないかってくらい痛い。
市販の痛み止めでは効かず、ボルタレンがなければ悶絶するしかない。
今回は胎盤を剥がしているだけなので、それに比べれば痛くはない。
だが、今回の一連の処置の中でとなると、一番痛かったかもしれない。
なによりも、色々我慢して産み落とした後に、まだ、やらなければならないことが待っている、という精神的苦痛の方が大きかった。
胎盤を一つ剥がし、もう一つ剥がさねばならない。
もう、私、産んだんだよ。
やるせなさと、苦痛から、私はうめいた。
まだ少し胎盤が残っているようだったが、「あまりやって子宮壁傷つけてもいけないから」と言って、処置が終了した。
これで全てが終わった。
とりあえず、大きな事は。
それから車いすが運ばれ、私は車いすで病室まで戻った。
子宮収縮剤を点滴で打たれ、ベットに横になった。
一時間は安静にして下さいとのこと。
トイレも車いすで連れて行かれた。
夫は私がいない間、どういう気持ちでずっと待ってくれていたのだろう。
出産した私の気持ちを全て夫がわかるものではないように、私も夫の気持ち全てをわかるものではないのだろう。
この日出産が午後にまで及んだため、大事をとって入院することになった。
夫も付き添いで泊まっていいということだったので、ちょっと安心する。
夕方、抗生剤の点滴が打たれ、薬を渡される。
「今日の夕食から飲んで下さい。子宮収縮剤と痛み止め。それと、これは抗生剤ですが、今日の夕食は飲まなくていいです。抗生剤を点滴してるので。明日の朝食から飲んで下さい。」
出産という大きな役目は終わったが、私の体は妊娠状態から普通の状態に戻るまでに、まだいくつもステップがあるのかと、少し落胆した事を覚えている。
「お子さんに会われますか?」
と尋ねられたので、是非、と、お願いした。
会わないのは余計、悲しすぎる。
夕食が出てきてしばらくして、I先生とSさんと一緒に箱に入った我が子たちが連れられてきた。
ガーゼがおくるみのように巻かれていたが、I先生が、ガーゼを取ってあげなさいとSさんに言い、私たち夫婦は子どもたちの姿を全てみる事ができた。
正直、両親に見せてあげれるかと聞かれたら、とても見せられない。
そんな我が子を前に、喜んでいいのか悲しんでいいのかわからずにいると夫が、「かわいいね」と言った。
そうか、かわいいって思っていいんだ。
私は夫のこの一言に、とても救われた。
子どもたちは病気ではあるけど、こんなに小さくてもちゃんとヒトの姿をしている。
ちゃんと忘れないようにこの目に焼き付けるもの、親の役目だろう。
全ては大学病院で聞いた通りのカラダだった。
臓器は飛び出し、足はあっちこっち向いている。
だけども私は、あっちこっち向いていても足がある事にホッとした。
なぜなら、今までエコーで私があれが足だと分かった事は一度もなかったから。
足にはご丁寧に爪があり、両ほほにそえられた手にも関節、そして爪がある。
はみ出した臓器。
明らかに肝臓と分かるものがある。
体の大きさの割に肝臓ってあんなに大きいんだと、少しびっくりした。
あれは小腸かなとか、立派に育った臓器を見ながら、どうしてお腹の壁がないだけでここまで大きな病気になってしまったのかと胸が痛んだ。
私は理系女子であり、動物実験はしてないまでも、マウスを捌いているのを時々見学していた。
最近はマグロの内蔵を仕分ける事が一度だがあったので、卒倒せずにいられたのかもしれない。
子どもと向き合えるだけの経験が自分にあったことを感謝した。
そんなことを思いながら双子の顔を見比べると、そっくりだった。
まだ空いていないであろう目の下には、うっすら瞳が透けて見える。
耳、口、そして鼻にも鼻の穴があり、誰かが精巧に作った人形がそこに横たわっているようだった。
彼らの造作は、誰の創造も受け付けない、奇麗な顔立ちだった。
夫にも、私にも似ていない、まだ個性が始まる前の顔に思えた。
定位置にない足は、私には天使の羽に見えた。
彼らは本当に天使だったのかもしれないと、素直に思った。
その後、箱一杯に花を敷き詰めた状態で再び我が子たちと、今度はゆっくり対面する。
Sさんは「朝までいてあげていいよ」と言ってくれたけど、こんな暑い中に長い間いさせたくなかったので、一時を夫と四人で過ごし、しばらくして双子を返した。
実はこの時、私は双子の写真を撮った。
もはや遺体となってしまった子どもたちの写真を撮っていいものか悩んだけど、お腹から出てきた瞬間に命が絶たれた双子の、生きている写真を撮る事自体できなかったのだから、後々誰に批判されたとしてもここで撮らなければ一生後悔する気がして、思い切って写真を撮ったのだ。
この日も夫と二人で散々泣いた。
夫が、「あかちゃんかわいかったね」と言う度に私はまた泣いた。
産んだ私ですらそう思う事をためらってしまった子どもたちを、かわいいと思った夫。
その一言にどれだけ私が救われたか、夫は知らないだろう。
この人と一緒になってよかったと改めて思った。
夜中になってもなかなか寝付けず、ウトウトしてる間に朝が来た。